その身体に触れたら、負け ~いじわる貴公子は一途な婚約者~ *10/26番外編
大抵の貴族の顔は覚えているはずだけれど、心当たりがない。
「そうですか。どうして私のことをご存知なのですか」
「あなたのことを知らない人などいませんよ。お美しい方ですから」
取ってつけたような賛辞も薄い笑みも、胡散臭い。オリヴィアは軽くドレスの裾をつまみ、失礼しようとした。ところが男がそれを引き留めた。
「一曲、お相手ねがえますか? それとも少し話を?」
「……ダンスは結構です」
「では、テラスへ行きましょうか」
陽は沈み、広間から漏れる明かりにぼんやりと庭園に植えられた花が浮かび上がる。たおやかな芳香が漂うテラスには先客はいなかった。
半歩前を歩く男は、女性の中では平均よりやや低いオリヴィアより頭一つ分だけ背が高い。手足が長く、歩くだけでも様になっている。
これ以上、二人きりでいると妙な噂を立てられかねない。ひとけのない庭園まで連れこまれたら、それこそ叫んで逃げるしかなくなる。緊張と警戒が気泡のようにオリヴィアの胸の内を湧き上がってきたところで、男が唐突に振り向いた。
その背にぶつかりそうになって、彼女はたたらを踏んだ。
「ここなら大丈夫でしょう。本当は昼間にこのテラスに立ちたいところですが」
たしかに言われて見れば、広間にいる人々の声は届かないが、かろうじてこちらから中を伺える絶妙な位置だ。彼女は胸を撫で下ろした。
「お庭に興味がおありになるのですか」
「いえ、僕ではなくてあなたが好きなのではないかと思いまして。令嬢はこのような場所がお好きなものでしょう?」
「そうですね、私もお庭は好きですけど……、残念ながら今はここもどれ程の広さなのか、暗くてわからないですわ」
「では今度は明るいときに案内しますよ」
「王宮の庭園など、私が気軽に入れるような所ではありませんわ」
オリヴィアは遠回しにその申し出を断った。王宮の庭園が開放されるのは、王宮主催の舞踏会が開催されるときだけである。
けれど、そのような場で再びこの男と庭園を歩くなど、考えたくないことだった。オリヴィアは彼の目から顔を逸らした。
「いずれということですから。そのときにはきっとあなたは僕とこの庭を歩いているはずですよ」
彼はくすりと笑うと、オリヴィアの方へ踏み出した。
断言するような言い方、近くなった距離。気がつけば鼻先が触れそうなほど近くに男の顔がある。緊張の糸がぴんと張りつめる。
後ずさりかけたオリヴィアの動きはけれどすぐに遮られ、テラスをのぞむ広間の壁に背中がついた。
「そうですか。どうして私のことをご存知なのですか」
「あなたのことを知らない人などいませんよ。お美しい方ですから」
取ってつけたような賛辞も薄い笑みも、胡散臭い。オリヴィアは軽くドレスの裾をつまみ、失礼しようとした。ところが男がそれを引き留めた。
「一曲、お相手ねがえますか? それとも少し話を?」
「……ダンスは結構です」
「では、テラスへ行きましょうか」
陽は沈み、広間から漏れる明かりにぼんやりと庭園に植えられた花が浮かび上がる。たおやかな芳香が漂うテラスには先客はいなかった。
半歩前を歩く男は、女性の中では平均よりやや低いオリヴィアより頭一つ分だけ背が高い。手足が長く、歩くだけでも様になっている。
これ以上、二人きりでいると妙な噂を立てられかねない。ひとけのない庭園まで連れこまれたら、それこそ叫んで逃げるしかなくなる。緊張と警戒が気泡のようにオリヴィアの胸の内を湧き上がってきたところで、男が唐突に振り向いた。
その背にぶつかりそうになって、彼女はたたらを踏んだ。
「ここなら大丈夫でしょう。本当は昼間にこのテラスに立ちたいところですが」
たしかに言われて見れば、広間にいる人々の声は届かないが、かろうじてこちらから中を伺える絶妙な位置だ。彼女は胸を撫で下ろした。
「お庭に興味がおありになるのですか」
「いえ、僕ではなくてあなたが好きなのではないかと思いまして。令嬢はこのような場所がお好きなものでしょう?」
「そうですね、私もお庭は好きですけど……、残念ながら今はここもどれ程の広さなのか、暗くてわからないですわ」
「では今度は明るいときに案内しますよ」
「王宮の庭園など、私が気軽に入れるような所ではありませんわ」
オリヴィアは遠回しにその申し出を断った。王宮の庭園が開放されるのは、王宮主催の舞踏会が開催されるときだけである。
けれど、そのような場で再びこの男と庭園を歩くなど、考えたくないことだった。オリヴィアは彼の目から顔を逸らした。
「いずれということですから。そのときにはきっとあなたは僕とこの庭を歩いているはずですよ」
彼はくすりと笑うと、オリヴィアの方へ踏み出した。
断言するような言い方、近くなった距離。気がつけば鼻先が触れそうなほど近くに男の顔がある。緊張の糸がぴんと張りつめる。
後ずさりかけたオリヴィアの動きはけれどすぐに遮られ、テラスをのぞむ広間の壁に背中がついた。