その身体に触れたら、負け ~いじわる貴公子は一途な婚約者~ *10/26番外編
 嫌で仕方がなくて、めちゃくちゃにぶってやりたくて暴れるけれど、いとも簡単に動きを封じられる。オリヴィアは目尻に溜まった涙をそのままに、男をにらみつけた。

 男は瞬きほどのあいだだけ表情を曇らせたが、すぐに何事もなかったように笑顔を取り戻した。

「何てことをなさるのです。貴方が紳士なら、こんなことをしてはならないとおわかりのはずです」

 今さらながら全身ががたがたと震え始める。心の中がぐちゃぐちゃだった。
 彼女は奥歯をぎりと噛みしめた。

「……後でいくらでも聞きましょう。だが今ここで僕を打つのはやめておいた方がいい。あちらの皆さんに気づかれますよ」

 彼が淡々と顎で広間を指す。確かに揉み合う様子に気づかれでもしたら、それこそ即座に醜聞になってしまう。貴族令嬢が醜聞の的になるなど、あってはならないことだ。

 ぐらりと身体が揺れるのを支えたのは、皮肉にも男の手だった。

「手を放してください。触らないで。二度と貴方と話すことはありません」
「それは、どうでしょう」

 男の手をぱしりと払いのける。今度は拍子抜けするほどあっさりと離れていった。

 まだ声も手も震えている。この男が夫だなんて、自分は何も聞いていない。だけどこの男とはもう話をしたくない。

「……失礼しますわ! さようなら」

 オリヴィアは男をせいいっぱい冷たくにらみつけると、深緑のドレスをひるがえして広間へと駆けた。
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