その身体に触れたら、負け ~いじわる貴公子は一途な婚約者~ *10/26番外編
一週間後、王都にあるフリークスのタウンハウスの応接間ではアルバーン伯爵とフレッドが父親と固い握手を交わし、実質的には婚約が成立した。その様子をオリヴィアは愕然として見ていた。
貴族の娘として、いつかは家のための結婚をするのだろうことを諦めとともに理解はしていた。長く一人でオリヴィアと弟のアランを育ててくれた父親のためにも、政略結婚をいつかは受け入れようと思っていた。けれどいざ突きつけられると、自分の知らないところで決められたことだけに、やっぱり動揺してしまう。
「なぜあの方なのです。爵位を継がれる予定もない次男ではありませんか。本当にフリークスの家のためになるのですか?」
声をひそめて父親に尋ねるも、返事はなんとも納得のいかないものだった。
「おまえにもそのうちわかる。心配しなくていい。これは、おまえのためになる結婚だからな」
気が滅入って仕方がない彼女とは反対に、色鮮やかな花が咲き誇る花壇のあいだを、フレッドは悠然と歩く。オリヴィアはさりげなく彼とのあいだに距離を取った。
「今は、父君と弟君との三人家族でいらっしゃるんですね。母君は亡くなられたとか。今はあなたが家の切り盛りを?」
「ええ、もう十年以上前のことですから。弟は寄宿学校に通っていますし、父はあまり家におりませんので大したことはしていませんが」
物心つく頃には母親は臥(ふ)せっていた。だけどまだ弟が生まれて間もない頃に、家族で屋敷の前を散歩したことがあるのはよく覚えている。麦の穂がたわわに実る頃のことだった。
母親は珍しく体調が良い日で、弟を抱いていた。オリヴィアは父親に手を引かれ、両親にはさまれて歩いた。たったそれだけではあるけれど、ときどき見上げた父親の顔はこれ以上ないくらい柔和な表情だった。
今となってはあの顔は幻だったのではと思うほど、父親はいつもいかめしいのだけれど。
その父親に命ぜられたため、オリヴィアは仕方なくフレッドを中庭に案内する。爵位こそ伯爵家より上位でも、資産は男爵程度のフリークス家の中庭などささやかなものだ。中庭に面した屋敷の壁には蔦が這い、中央にはプラタナスの大木が葉を茂らせる。案内するほどでもないのに。
「いえいえ、なかなかできることではありませんよ。道理で、浮ついたところがない」
「それは誉め言葉と受け取れば良いのかしら」
「もちろんですよ」
「でしたら要りません」
フレッドが「つれないですね」と苦笑して空を仰ぐ。夏の盛りの強い陽射しを弾いて、彼の薄い栗色をした髪が輝いた。
「貴方は次男とお聞きしましたが」
「ええ、優秀な兄がいますよ。もう結婚していますが。仲の良い夫婦ですから、子供もまもなくできるでしょうね。残念ながら爵位も資産も僕のものになりませんよ」
「爵位はその人自身ではありませんわ」
オリヴィア個人にとっては、爵位よりも、彼自身の女性に対する振る舞いの方がよっぽど問題である。
けれどフレッドは何を思ったか、ひと呼吸おいて目を瞬かせた。
「『氷の瞳』ですか。なるほど噂の通りだ」
「御存じなのですか」
「一度でも社交界に出たことのある者なら誰でも耳にしますよ。噂通り、凍った湖面に太陽が射したときのような深い碧ですね」
フレッドは振り返ってオリヴィアを覗きこんだ。彼女が反射的に頭を反らすと、また彼はふっと笑って歩き出す。
貴族の娘として、いつかは家のための結婚をするのだろうことを諦めとともに理解はしていた。長く一人でオリヴィアと弟のアランを育ててくれた父親のためにも、政略結婚をいつかは受け入れようと思っていた。けれどいざ突きつけられると、自分の知らないところで決められたことだけに、やっぱり動揺してしまう。
「なぜあの方なのです。爵位を継がれる予定もない次男ではありませんか。本当にフリークスの家のためになるのですか?」
声をひそめて父親に尋ねるも、返事はなんとも納得のいかないものだった。
「おまえにもそのうちわかる。心配しなくていい。これは、おまえのためになる結婚だからな」
気が滅入って仕方がない彼女とは反対に、色鮮やかな花が咲き誇る花壇のあいだを、フレッドは悠然と歩く。オリヴィアはさりげなく彼とのあいだに距離を取った。
「今は、父君と弟君との三人家族でいらっしゃるんですね。母君は亡くなられたとか。今はあなたが家の切り盛りを?」
「ええ、もう十年以上前のことですから。弟は寄宿学校に通っていますし、父はあまり家におりませんので大したことはしていませんが」
物心つく頃には母親は臥(ふ)せっていた。だけどまだ弟が生まれて間もない頃に、家族で屋敷の前を散歩したことがあるのはよく覚えている。麦の穂がたわわに実る頃のことだった。
母親は珍しく体調が良い日で、弟を抱いていた。オリヴィアは父親に手を引かれ、両親にはさまれて歩いた。たったそれだけではあるけれど、ときどき見上げた父親の顔はこれ以上ないくらい柔和な表情だった。
今となってはあの顔は幻だったのではと思うほど、父親はいつもいかめしいのだけれど。
その父親に命ぜられたため、オリヴィアは仕方なくフレッドを中庭に案内する。爵位こそ伯爵家より上位でも、資産は男爵程度のフリークス家の中庭などささやかなものだ。中庭に面した屋敷の壁には蔦が這い、中央にはプラタナスの大木が葉を茂らせる。案内するほどでもないのに。
「いえいえ、なかなかできることではありませんよ。道理で、浮ついたところがない」
「それは誉め言葉と受け取れば良いのかしら」
「もちろんですよ」
「でしたら要りません」
フレッドが「つれないですね」と苦笑して空を仰ぐ。夏の盛りの強い陽射しを弾いて、彼の薄い栗色をした髪が輝いた。
「貴方は次男とお聞きしましたが」
「ええ、優秀な兄がいますよ。もう結婚していますが。仲の良い夫婦ですから、子供もまもなくできるでしょうね。残念ながら爵位も資産も僕のものになりませんよ」
「爵位はその人自身ではありませんわ」
オリヴィア個人にとっては、爵位よりも、彼自身の女性に対する振る舞いの方がよっぽど問題である。
けれどフレッドは何を思ったか、ひと呼吸おいて目を瞬かせた。
「『氷の瞳』ですか。なるほど噂の通りだ」
「御存じなのですか」
「一度でも社交界に出たことのある者なら誰でも耳にしますよ。噂通り、凍った湖面に太陽が射したときのような深い碧ですね」
フレッドは振り返ってオリヴィアを覗きこんだ。彼女が反射的に頭を反らすと、また彼はふっと笑って歩き出す。