国王陛下の庇護欲を煽ったら、愛され王妃になりました
「きみの朝食は?」
「わたしは後ほどダイニングで」
「……そうか」
なんだか残念そうな表情に見えるのは気のせいだろうか。更に、ノエリアには気になることがある。
「あの、陛下。わたしの名前はノエリアです」
「知っているが」
なんのことだとでも言いそうな表情のシエルだった。ノエリアは、どう表現したらいいのか分からない気持ちを心に持っていた。
(これは、きっと欲望だと思う)
あれが欲しい。それが食べたい。その思いに似ている。ノエリアは、自分はおかしくなってしまったのだろうかと思いながらも、言わずにいられなかった。
「ノエリアと、お呼びくださいませんか」
(陛下は、わたしのことをきみとかしか呼ばない)
屋敷には三人しかいない。それに、シエルは一定期間しか滞在しないのだし、一時の交流だ。相手は国王陛下。名前など覚えなくても、たとえ覚えても忘れていくだろう。
恐る恐るシエルの顔を見ると、まるで射るような目でこちらを見ていた。
「今日は、いつもと違うと思った」
「誰が、ですか?」
「その、きみが」
(やはり、名を呼んではくださらない)
がっかりしながら、そんな風に考える自分に驚く。
「美しい、から」
口元を隠してゴニョゴニョと言うシエル。
「あ、あの、いつもよりお化粧が濃いかもしれません……! そのせいですねっ。髪も纏めて髪飾りをしていますし。畑仕事で邪魔になるので」
邪魔になるのなら髪飾りなど着けないだろうと、心の中で、自分で突っ込んでしまうノエリアだった。
「似合うと思う。金色の髪に、その、緑色の……」
「母の形見なんです。小さいですがエメラルドです」
蝶を象った銀細工はシンプルながら、小ぶりなエメラルドが存在感を放っていた。幾分、ノエリアの年齢には地味ではあるけれど、上品な雰囲気だった。
「ゴテゴテと飾り立て頭がもげそうになっている王都の女たちよりいい」
そんな表現をするなんて、と微笑む。王都の女性たちは最先端ファッションを楽しんでいるだろう。コテで巻いた髪を結い上げ華やかに髪飾りをつけるそうだ。
ノエリアは社交界デビューもできていないから、そういったことに疎く興味もなかったのだけれど。
「エメラルドは、陛下の瞳の色と同じなので」
「俺の、瞳?」
ノエリアが頷くと、シエルはパッと目を反らして不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。そして朝食の続きを食べている。
(なにか変なことを言ったかな……)
「きみはその、あまりそういうことを男に言わないほうがいい」
「そういうこと、ですか?」
「いい。なんでもない。ハギー」
なにかを誤魔化すようにハギーを呼んで肉をあげている。不機嫌の原因はよく分からないけれど、あまり長居をしないほうが良さそうだ。
「申し訳ありません。余計なことを言いました」
「いや、その、別に怒ってはいない」
ノエリアはどう返していいのか分からず曖昧に微笑んだ。お茶を出し、ワゴンをドアまで押した。そしてシエルに向き直る。
「それでは、失礼致します。ティータイム用に、ケーキを作ってきますね。昨夜、約束しましたから」
ドアを開けると、ハギーがするりと出て行った。食後の運動にでも行くのだろうか。部屋を出て、ドアを閉めようとしたときだった。
「ありがとう……ノエリア」
手が止まる。彼を振り向いた。目は合わせてくれなかったけれど。
(名前を、呼んでくださった)
胸が熱くなるのが分かる。たかがこんなことかもしれない。小さな変化は、ノエリアの中に小さな火を灯した。自分でも、分かった。
「また、来ます」
嬉しくて仕方が無かった。ドアを閉め、いそいそとキッチンに戻る。キッチンには誰もいなかった。隣のダイニングをのぞいてみたが、マリエもリウも、もう朝食を終えたらしい。姿が無かった。
(行き違ったのね)
ノエリアも簡単に朝食を終え、仕事に取り掛かる。
小麦粉にバター、卵に蜂蜜。林檎と木苺、村周辺の果樹園で収穫できる柑橘類。ナイフを入れると瑞々しい香りが広がった。これらでジャムを作り、ジャムケーキを作ろう。苦みのある薬草茶やハーブティーとも相性がいいだろう。
ノエリアはあれこれ手早く準備をし、料理に取り掛かった。