国王陛下の庇護欲を煽ったら、愛され王妃になりました
4.あなたのすべて
「溶けそうね、ハギー」
猫のハギーは屋敷の中で一番涼しい場所を見つけるのがうまい。ノエリアはハギーが洗面台の下にいるのを見つけてそばに水を置いてやった。
連日、暑い日が続く。今日も朝から太陽が容赦なく照りつけていた。
「こんな日はマーマレードを水で割って一気飲みするのがいいわね」
ノエリアは欠伸をするハギーを撫でて、キッチンへ向かった。
マーマレードの瓶を取り出し、カップに入れ、水で割る。レモンを絞って、夏にぴったりの飲み物を作った。
ヴィリヨとマリエにもあとで届けよう。
シエルが去ってから、一カ月。
このマーマレードを見ると、シエルとのティータイムを余計に思い出す。
数日の滞在でノエリアの心に深く住み着いたシエルを考えないようにすることは、容易ではなかった。けれどノエリアは、仕事に没頭することで気を紛らわせていた。
とはいえ、薬草の売上はいつもと同じで微々たるもので、畑も狭ければ人も足りない。
(商売のほうはなかなか劇的には変わらないわね)
自分の中で起こった変化は劇的だったのにね。そんな風に笑う。馬鹿にしているのではなく、前向きに捉えているノエリアだった。
緑鮮やかな夏の野菜を籠にたくさん収穫した。季節的に野菜がたくさん収穫できるのはいい。しかし、自分たちが食べるための食材を確保するのが精いっぱいで薬草に手が回らないと毎年思う。考えは、堂々巡りでここでも変化はない。
(仕方がないのだけれど)
籠を持って立ち上がる。眩しい太陽を仰いだ。光に目がくらんで目を閉じた。そのとき、遠くから音が聞こえた。なんだろう。
ノエリアは、森へ続く道の先を見た。額から流れる汗を拭う。風がノエリアの金髪を揺らす。喉が渇いていた。そして、道に現れた姿に、心をも渇いていたことを思い知る。
(わたし、幻覚が見えるようになってしまったのかな)
あれは、愛馬ぺルラ。その背に誇らしげに彼を乗せて軽快に駆けている。黒髪を揺らし、精悍な顔立ち。もう少し近付けばきっと、あの美しい緑の瞳が見つめてくるだろう。
「シエル様……?」
蹄の音とぺルラの嘶き。瞬きを繰り返しても、こちらに近付いてくる姿は消えない。
「ノエリア!」
名前を呼ぶ声は、何度も夢に見たものだ。そばにぺルラから、長身の男性がひらりと降り立つ。
「久しぶりだな。ノエリア」
「嘘でしょう……?」
「ずいぶんな挨拶だな」
「どうして?」
ふわりと顔の前に差し出されたのは、薫り高い薔薇の花束。
「夕方には帰るが、時間ができたので会いに来た」
(会いに来た、ですって?)
「花を、ありがとうございます。あの、いろんな意味で眩暈がします……」
「数日前に手紙を出したはずだが」
そのような手紙が来ていただろうか。記憶にない。
「ここは山奥なので、届くのが遅れているのだと思います」
そうじゃなければあの郵便屋がさぼっているかのどちらかだ。
「腕のお加減は如何ですか?」
ノエリアが聞くと、シエルはシャツの袖を捲り、包帯が巻かれた腕を見せてくれた。
「ちゃんと医者に見せた。もう痛みは殆どないし、残っているのは傷跡だけだ」
にこりともせず平然と言うシエル。相変わらず笑わないひとだなと思って、シエルの顔を見た。左目に、傷。
「傷だらけ、ですね」
片方の口の端を上げて、彼は笑った。
とにかく、屋敷の中に案内しなければ。ぺルラを馬小屋に繋ぎ、ノエリアはシエルと一緒に玄関へと向かった。そこでまた驚く。屋敷の前にずらりと馬や人がいたからだ。
「なに、これ……」
おそらく護衛兼同行として騎士団が十名ほど、馬が引く木材を積んだ荷台が二台。それに、大工のような男たち。大きな馬車が三台。
「マリエ! マリエ!」
ノエリアの呼びかけに玄関から顔を出したマリエが、ひっくり返りそうに驚いていた。
(なに、なんなの? なにが起こったの?)
人々のなかに、リウがいた。彼はノエリアに気付いて、手を振っている。
「あっちはリウに任せているから。ヴィリヨ殿はいるのか?」
「ええ。部屋にいます。今日も暑いので……」
「臥せっているのか?」
「いいえ。そうではないですが」
「体にいいものをたくさん持って来たんだ。伯爵に届けようと思って」
馬や馬車を避けながら玄関を入る。荷物があれこれと運び込まれていた。あれがそうなのだろう。ヴィリヨへの心遣いはとても嬉しいことだった。しかし、馬が引いて来た木材はなんだろう。
「ありがとうございます。あの、木材は一体?」
「あれは、窓が壊れていただろう? 修理するためだ。あとは雨漏りする場所もあると聞いていた。倉庫の扉も壊れていたようだし、床が剥がれている場所もあった」
「ええ!」
あれこれ調べていったのはきっとリウだろう。こう改めて修理箇所を挙げられると恥ずかしくなってくる。
猫のハギーは屋敷の中で一番涼しい場所を見つけるのがうまい。ノエリアはハギーが洗面台の下にいるのを見つけてそばに水を置いてやった。
連日、暑い日が続く。今日も朝から太陽が容赦なく照りつけていた。
「こんな日はマーマレードを水で割って一気飲みするのがいいわね」
ノエリアは欠伸をするハギーを撫でて、キッチンへ向かった。
マーマレードの瓶を取り出し、カップに入れ、水で割る。レモンを絞って、夏にぴったりの飲み物を作った。
ヴィリヨとマリエにもあとで届けよう。
シエルが去ってから、一カ月。
このマーマレードを見ると、シエルとのティータイムを余計に思い出す。
数日の滞在でノエリアの心に深く住み着いたシエルを考えないようにすることは、容易ではなかった。けれどノエリアは、仕事に没頭することで気を紛らわせていた。
とはいえ、薬草の売上はいつもと同じで微々たるもので、畑も狭ければ人も足りない。
(商売のほうはなかなか劇的には変わらないわね)
自分の中で起こった変化は劇的だったのにね。そんな風に笑う。馬鹿にしているのではなく、前向きに捉えているノエリアだった。
緑鮮やかな夏の野菜を籠にたくさん収穫した。季節的に野菜がたくさん収穫できるのはいい。しかし、自分たちが食べるための食材を確保するのが精いっぱいで薬草に手が回らないと毎年思う。考えは、堂々巡りでここでも変化はない。
(仕方がないのだけれど)
籠を持って立ち上がる。眩しい太陽を仰いだ。光に目がくらんで目を閉じた。そのとき、遠くから音が聞こえた。なんだろう。
ノエリアは、森へ続く道の先を見た。額から流れる汗を拭う。風がノエリアの金髪を揺らす。喉が渇いていた。そして、道に現れた姿に、心をも渇いていたことを思い知る。
(わたし、幻覚が見えるようになってしまったのかな)
あれは、愛馬ぺルラ。その背に誇らしげに彼を乗せて軽快に駆けている。黒髪を揺らし、精悍な顔立ち。もう少し近付けばきっと、あの美しい緑の瞳が見つめてくるだろう。
「シエル様……?」
蹄の音とぺルラの嘶き。瞬きを繰り返しても、こちらに近付いてくる姿は消えない。
「ノエリア!」
名前を呼ぶ声は、何度も夢に見たものだ。そばにぺルラから、長身の男性がひらりと降り立つ。
「久しぶりだな。ノエリア」
「嘘でしょう……?」
「ずいぶんな挨拶だな」
「どうして?」
ふわりと顔の前に差し出されたのは、薫り高い薔薇の花束。
「夕方には帰るが、時間ができたので会いに来た」
(会いに来た、ですって?)
「花を、ありがとうございます。あの、いろんな意味で眩暈がします……」
「数日前に手紙を出したはずだが」
そのような手紙が来ていただろうか。記憶にない。
「ここは山奥なので、届くのが遅れているのだと思います」
そうじゃなければあの郵便屋がさぼっているかのどちらかだ。
「腕のお加減は如何ですか?」
ノエリアが聞くと、シエルはシャツの袖を捲り、包帯が巻かれた腕を見せてくれた。
「ちゃんと医者に見せた。もう痛みは殆どないし、残っているのは傷跡だけだ」
にこりともせず平然と言うシエル。相変わらず笑わないひとだなと思って、シエルの顔を見た。左目に、傷。
「傷だらけ、ですね」
片方の口の端を上げて、彼は笑った。
とにかく、屋敷の中に案内しなければ。ぺルラを馬小屋に繋ぎ、ノエリアはシエルと一緒に玄関へと向かった。そこでまた驚く。屋敷の前にずらりと馬や人がいたからだ。
「なに、これ……」
おそらく護衛兼同行として騎士団が十名ほど、馬が引く木材を積んだ荷台が二台。それに、大工のような男たち。大きな馬車が三台。
「マリエ! マリエ!」
ノエリアの呼びかけに玄関から顔を出したマリエが、ひっくり返りそうに驚いていた。
(なに、なんなの? なにが起こったの?)
人々のなかに、リウがいた。彼はノエリアに気付いて、手を振っている。
「あっちはリウに任せているから。ヴィリヨ殿はいるのか?」
「ええ。部屋にいます。今日も暑いので……」
「臥せっているのか?」
「いいえ。そうではないですが」
「体にいいものをたくさん持って来たんだ。伯爵に届けようと思って」
馬や馬車を避けながら玄関を入る。荷物があれこれと運び込まれていた。あれがそうなのだろう。ヴィリヨへの心遣いはとても嬉しいことだった。しかし、馬が引いて来た木材はなんだろう。
「ありがとうございます。あの、木材は一体?」
「あれは、窓が壊れていただろう? 修理するためだ。あとは雨漏りする場所もあると聞いていた。倉庫の扉も壊れていたようだし、床が剥がれている場所もあった」
「ええ!」
あれこれ調べていったのはきっとリウだろう。こう改めて修理箇所を挙げられると恥ずかしくなってくる。