国王陛下の庇護欲を煽ったら、愛され王妃になりました
むせるような草の匂い。湿った土を顔の近くに感じる。ぺルラの嘶き。シエルの声を聴いた気がするけれど、地面に自分の体が打ち付けられた衝撃に驚く。自分の痛みよりも先に、シエルの身を案じた。
「シエル、シエル様!!」
叫んだけれど、痛みにしかめた顔は、土で汚れていた。痛いということは生きている証拠。薄く開けた目からぺルラが興奮して足を鳴らす姿が見える。
(ぺルラは、無事なのね)
そう思ったものの、なにか動きが変だ。よく見ると、尻尾のわきに矢が刺さっている。
「なんてことなの」
あの矢を射られて驚き、ここへ足を踏み外したのだ。足を骨折した様子は見られない。馬のぺルラがまた嘶く。主人が倒れているし、驚きと不安で仕方がないのだろう。
「ペルラ、こっちにおいで」
口笛でペルラに呼びかけた。グルグルと歩き回り、刺さった矢を気にしている。ぺルラを落ち着かせたいのだけれど、ノエリアは、体のあちこちが痛かった。
(落ち着いて。……シエル様は?)
「シエル様!」
自分たちにいったい何が起こったのか、理解するのに時間がかかる。おそらくは、馬ごと滑落したのだ。あたりを見回すと、草の間に手が見える。あれだ。シエルだ。ノエリアは這って行きその手を握る。手を辿って、体に辿り着く。草に埋もれるようにしてうつ伏せで倒れるシエルは、呼びかけに答えない。反応しない。
「うそ。どうしたの」
ぴくりとも動かない。
「……シエル様?」
(どうしたの? なぜ目を開けないの?)
ぐったりとして反応が無い。ノエリアは焦った。自分が誘って森に入り、こんな事故に逢ったのだ。どうしよう。どうしよう。
静かに、ゆっくりと、シエルを抱き仰向けにする。ノエリアは正座した膝にシエルの頭を乗せた。唇の端から血がひと筋、流れた。
「シエル様……!!」
口の中を切ったのか、それとも内蔵なのか。ノエリアは震える手で、彼の手を握った。
滑落した場所を見上げた。自分たちがいる場所は、落差数メートルはあろうかという沢の底だった。あたりは湿っていて霧が立ちこめ、座っていると、じんわりスカートが濡れてくる。
(こんな場所があったなんて、いままで気がつかなかった)
打撲はあるものの、自分は動ける。ぺルラも奇跡的に足の骨折は無いようだ。気を失っているシエルが心配でたまらない。どうして目を開けないのだろう。
(この高さから落ちて、頭を打っていたら……)
「シエル様、目を開けて」
ペルラもそばに来た。倒れたままの主人に顔を近付けて、袖を銜えて引っ張った。力無く腕が落ちる。ノエリアは恐怖に押し潰されそうだった。
「シエル様、目を開けて。あなたに、なにかあったら、わたし……」
目を開けて欲しい。名前を呼んで欲しい。その瞳に映っていられただけで幸せだった。ノエリアは、胸の奥にある熱い塊の正体を、いまはっきりと感じた。
「お願い。わたし、まだなにも言っていないの」
なにのために涙を流すのか。体の奥から湧きあがるこの愛おしさと悲しみ。亡くすのではないかと思う恐怖。こんな気持ち、感じたことが無い。支配されている。こんなにも心を奪われていたなんて。
「……好きだと、まだ伝えていないのに」
ノエリアは、大粒の涙を零しながら、シエルの胸に顔を埋めた。
出会えただけで幸せなのだ。それなのに、こんな身分差のある相手を愛するなんて、罪深いこと。自分など釣り合うわけがない。
笑いかけてくれ、言葉を交わすだけで幸せだったのだ。こんなにも深く心にシエルが住みつく前に、気付くべきだった。
触れられたときの熱さも、口付けの意味も分からなかった。
「助けを……呼ばなきゃ……」