国王陛下の庇護欲を煽ったら、愛され王妃になりました
「……ノエリア。あれ、見てみろ」
「なんでしょう?」
シエルが見ている方向はノエリアの背後だ。振り返って見ると、少し離れた場所に、花が咲いている。しかも、ものすごくたくさん。紫色の絨毯のようだった。
手前に辿ってみると、手を着いていたところにも咲いている。ふっと香りが鼻をかすめる。
「どうして気が付かなかったのかしら」
衝撃と混乱で、気にもならなかったのかもしれない。ノエリアは、腹這いになり顔を近付けた。花に触れて特徴を確かめる。柔らかな花弁は指に吸い付くようにしっとりしていた。
「花は幾重にも重なっていて、細い葉に柔らかい茎。根っこまで全て使える万能薬」
幻の薬草。ノエリアはシエルを見上げる。その目は、左右違った輝きを湛えていた。
「紫の花を持つ、ミラコフィオ……」
溜息と混じったその名前は、シエルの口から空気に溶けた。
「こんなところに」
すべてが繋がって感じた。ふたりが育って来たこと、嵐の夜に出会ったこと。ここにいること。
その時だった。頭上でバキッと枝が折れる音がした。驚いて体が硬直する。
「静かに。じっとして」
ノエリアが起き上がろうとしたところへ、シエルが覆いかぶさった。ガサガサと音が移動していた。草の間から弓が見える。続いて顔を出した意外な人物に、ふたりは声を無くした。あれは。
「サイル……!」
シエルの声は、絶望と怒りを含んでいた。その衝撃は計り知れない。ノエリアは顔の前に置かれたシエルの手を握る。すると、強く握り返された。
「護衛と送迎は騎士団から結成されたから、当然サイルもいた。俺とリウを送り届け、帰っていくと見せかけて、途中で待機していたんだ」
「なぜ。裏切っていたのですね」
「きっと死体を確認したかったのだろう。戻ってくるかもしれないから、すぐここを脱出しよう」
滑落した場所へ上ることは、ぺルラがいることもあり不可能だと判断した。矢を無理に抜かず、採取したミラコフィオを指で潰して傷口に塗り付けた。そして、ノエリアはスカートを破き矢を固定した。
「毒矢だったらと心配したのだけど、そうじゃないみたいだ。矢じりが深くは刺さっていない。この傷さえ癒えれば大丈夫だ。な、ぺルラ。がんばろうな。また一緒に走ろう」
シエルはぺルラを励ましながら、手綱を引いて沢を下って、道に戻れる場所を探して歩き出した。もう片方の手はノエリアと繋いで、歩いてくれた。
「ノエリア、足は痛くないか?」
「山歩きなら慣れています。シエル様こそ」
「そんなに弱くないよ。一応は鍛えているのだから」
シエルの笑顔を見て少し心が解れた。楽しいおしゃべりをしている場合ではない。体力も消耗している。早く道に戻らなければ。ふたりと一頭は、必死に沢を辿った。
(それにしても、こんな場所があったなんて。ひとりで探索するには危険だし行動範囲が限られていたから分からなかったんだわ。絶対、またあそこに行かなくちゃ)
「ミラコフィオの群生。絶対にまたあそこへ行く」
一瞬、自分の心の声が聞こえたのかと思った。シエルが言ったのだ。
「いま、わたしも同じことを考えていました」
「あれを逃す手はないだろう。人の手が入っていないようだった」
「そうですね。ヒルヴェラでも知らないですし。元々あったのか、それともどこからか種が飛んできたのか分かりませんが」
歩きながら振り返って見たのだが、長年の水の流れで削れたのか崩れたかしてできた場所に木が大きく育ち枝を茂らせた。枝葉が蓋の役目をしていたのだ。その下で守られるようにしてミラコフィオの群生は静かに生きていた。
シエルの声がしたが、よく聞き取れなかった。
「なにか仰いました?」
「いや、あとで話す。先を急ごう」
そうだ。とにかく歩かなければ。視線を前に戻したときだった。ノエリアの目の前を、なにかが飛んでいく。
「やっ……!」
立て続けに飛んできて、そばの木に刺さった。それは、ぺルラに放たれたものと同じ矢だった。ノエリアの背筋を冷たい汗が流れた。シエルが前に立ちはだかり盾となる。
「そこだ!」
シエルが足元に転がるこぶし大の石を掴んで、茂みに向かって投げた。ギャッという叫び声と共に、大きな黒い塊が落ちてきた。唸り声を出しながら顔をあげたそのひとは。
「サイル……!」
「陛下。……ここまでです。ご覚悟を」
夏だというのに体を隠すように茶色のマントを被っている。大きな体のサイル騎士団長だった。
「なぜだ。理由を言え、サイル」
「……わたしだけではありません。前国王も王妃も既におらず、他に嫡子もいない。お兄様は亡くなられ、あなたは独身。いま、首を取れば……」
サイル騎士団長は、私利私欲にまみれた目でシエルを見つめ、恐ろしい言葉を吐く。ノエリアは吐き気を催した。
(シエル様は、このような輩に囲まれて生きていたのですか)
この国を守るには、強くいなければいけない。孤独の中でひとり立つことになっても。シエルの後ろから手を伸ばし、彼の手をきつく握った。ぎゅっと握り返される。
「なんでしょう?」
シエルが見ている方向はノエリアの背後だ。振り返って見ると、少し離れた場所に、花が咲いている。しかも、ものすごくたくさん。紫色の絨毯のようだった。
手前に辿ってみると、手を着いていたところにも咲いている。ふっと香りが鼻をかすめる。
「どうして気が付かなかったのかしら」
衝撃と混乱で、気にもならなかったのかもしれない。ノエリアは、腹這いになり顔を近付けた。花に触れて特徴を確かめる。柔らかな花弁は指に吸い付くようにしっとりしていた。
「花は幾重にも重なっていて、細い葉に柔らかい茎。根っこまで全て使える万能薬」
幻の薬草。ノエリアはシエルを見上げる。その目は、左右違った輝きを湛えていた。
「紫の花を持つ、ミラコフィオ……」
溜息と混じったその名前は、シエルの口から空気に溶けた。
「こんなところに」
すべてが繋がって感じた。ふたりが育って来たこと、嵐の夜に出会ったこと。ここにいること。
その時だった。頭上でバキッと枝が折れる音がした。驚いて体が硬直する。
「静かに。じっとして」
ノエリアが起き上がろうとしたところへ、シエルが覆いかぶさった。ガサガサと音が移動していた。草の間から弓が見える。続いて顔を出した意外な人物に、ふたりは声を無くした。あれは。
「サイル……!」
シエルの声は、絶望と怒りを含んでいた。その衝撃は計り知れない。ノエリアは顔の前に置かれたシエルの手を握る。すると、強く握り返された。
「護衛と送迎は騎士団から結成されたから、当然サイルもいた。俺とリウを送り届け、帰っていくと見せかけて、途中で待機していたんだ」
「なぜ。裏切っていたのですね」
「きっと死体を確認したかったのだろう。戻ってくるかもしれないから、すぐここを脱出しよう」
滑落した場所へ上ることは、ぺルラがいることもあり不可能だと判断した。矢を無理に抜かず、採取したミラコフィオを指で潰して傷口に塗り付けた。そして、ノエリアはスカートを破き矢を固定した。
「毒矢だったらと心配したのだけど、そうじゃないみたいだ。矢じりが深くは刺さっていない。この傷さえ癒えれば大丈夫だ。な、ぺルラ。がんばろうな。また一緒に走ろう」
シエルはぺルラを励ましながら、手綱を引いて沢を下って、道に戻れる場所を探して歩き出した。もう片方の手はノエリアと繋いで、歩いてくれた。
「ノエリア、足は痛くないか?」
「山歩きなら慣れています。シエル様こそ」
「そんなに弱くないよ。一応は鍛えているのだから」
シエルの笑顔を見て少し心が解れた。楽しいおしゃべりをしている場合ではない。体力も消耗している。早く道に戻らなければ。ふたりと一頭は、必死に沢を辿った。
(それにしても、こんな場所があったなんて。ひとりで探索するには危険だし行動範囲が限られていたから分からなかったんだわ。絶対、またあそこに行かなくちゃ)
「ミラコフィオの群生。絶対にまたあそこへ行く」
一瞬、自分の心の声が聞こえたのかと思った。シエルが言ったのだ。
「いま、わたしも同じことを考えていました」
「あれを逃す手はないだろう。人の手が入っていないようだった」
「そうですね。ヒルヴェラでも知らないですし。元々あったのか、それともどこからか種が飛んできたのか分かりませんが」
歩きながら振り返って見たのだが、長年の水の流れで削れたのか崩れたかしてできた場所に木が大きく育ち枝を茂らせた。枝葉が蓋の役目をしていたのだ。その下で守られるようにしてミラコフィオの群生は静かに生きていた。
シエルの声がしたが、よく聞き取れなかった。
「なにか仰いました?」
「いや、あとで話す。先を急ごう」
そうだ。とにかく歩かなければ。視線を前に戻したときだった。ノエリアの目の前を、なにかが飛んでいく。
「やっ……!」
立て続けに飛んできて、そばの木に刺さった。それは、ぺルラに放たれたものと同じ矢だった。ノエリアの背筋を冷たい汗が流れた。シエルが前に立ちはだかり盾となる。
「そこだ!」
シエルが足元に転がるこぶし大の石を掴んで、茂みに向かって投げた。ギャッという叫び声と共に、大きな黒い塊が落ちてきた。唸り声を出しながら顔をあげたそのひとは。
「サイル……!」
「陛下。……ここまでです。ご覚悟を」
夏だというのに体を隠すように茶色のマントを被っている。大きな体のサイル騎士団長だった。
「なぜだ。理由を言え、サイル」
「……わたしだけではありません。前国王も王妃も既におらず、他に嫡子もいない。お兄様は亡くなられ、あなたは独身。いま、首を取れば……」
サイル騎士団長は、私利私欲にまみれた目でシエルを見つめ、恐ろしい言葉を吐く。ノエリアは吐き気を催した。
(シエル様は、このような輩に囲まれて生きていたのですか)
この国を守るには、強くいなければいけない。孤独の中でひとり立つことになっても。シエルの後ろから手を伸ばし、彼の手をきつく握った。ぎゅっと握り返される。