臆病な背中で恋をした
 社長が居なくなった途端、急にしんと静まり返る車内。
 亮ちゃんから洩れた溜め息の気配に我に返った。
 わたしってば。なにを呑気に喜んでるんだろう。自分は良くたって亮ちゃんにとっては、ただの傍迷惑でしかないかも知れないのに・・・!
 胸に突き刺さるような鈍い痛みを憶え、膝の上でぐっと両手を握り締める。

「・・・っ、あの亮ちゃん・・・っ」

 ルームミラー越しにこっちを向いた視線。

「わたしなら大丈夫だから、近くの駅で下ろして? 一人で帰れるからっ」

 笑ったつもりだけど、どうだったか。ともすれば歪みそうになる眼差しを逸らした。

 亮ちゃんは黙ったまま、エンジンをかけて静かに車を発進させる。きっとこのまま駅に向かうだろうと思った。登り坂の専用通路から地上に出て、道路をしばらく走ってから。ぽつんと聴こえた。

「・・・誤解するな」

「・・・え?」

「明里を迷惑に思ってる訳じゃない。・・・あのひとの気まぐれに手を焼く自分が少し苛ついただけだ。気にしなくていい」

 淡々としてたけど語調は硬くもなくて。わたしが何を思ったのかを、簡単に見抜かれていたみたい。思い込んだ緊張が解けた瞬間、お腹が小さく鳴った。
 うわーん、今の絶対に聴かれたぁ! 恥ずかしさのあまり俯いてると。

「何が食べたいんだ?」

 澄ましたように尋ねられた。

「・・・お寿司以外ならなんでも」

 わたしは、もごもご。

「相変わらず魚は苦手か」

 今度はクスッと。・・・あれ? もしかして普通に笑ってくれた?
 
 会うたびに、感情を仕舞いこんだみたいにしか見えなかった。それが“大人”になったってことなのか、でもそれでも亮ちゃんは亮ちゃんだ、って。そう思ってるけど。
 ・・・よかった、ちゃんと笑えるなら。気持ちの真ん中がふんわり温かくなった。

「あの眼を想像しちゃうから、どうしてもダメなまま来ちゃった」

 困ったように笑い返して。

「水炊きの美味い店がある。そこでもいいか明里」

「うんっ」

 
 亮ちゃんは相変わらず、こっちから話しかけない限り黙ったままだったけど。間を流れてる空気は自然で和らいでいたから。
 わたしはそれだけで嬉しくて・・・幸せな気持ちでいっぱいだった。



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