臆病な背中で恋をした
「・・・いい心掛けだ」

 目を細め、満足そうな笑みを口の端に乗せた真下社長から下される審判を待つ。

「明里が俺に差し出せるものは一つきりだろう? 俺の女になれとは言わないが、今夜は返さん。いいな?」

 つまりは。そういう意味だと。

「・・・はい」

 伏目がちにわたしは自分の意思で、肯定の返事をした。

「なら場所を変えるとしよう。初めての女をこんな処で抱くほど無粋じゃないんでな。・・・津田、車を回せ!」

 襖の奥に向かい真下社長が声を張ると、向こう側から短く返答が返り。足音と障子戸の開閉音がくぐもって聴こえた。




 
 今まで付き合ったことが無いから経験も無かっただけで。勿体ぶって大事にとっておいたわけでもない。
 初めては・・・亮ちゃんだったらいいなって思ったのは嘘じゃないけど。今どき好きじゃない人とするのだって珍しくないもの・・・・・・。

 ぼんやりと。
 後部シートで車が加速する軽い振動を感じながら。

「・・・明里」

 腰に腕を回されて真下社長に引き寄せられ、逃がさないとでも言われているように。
 やり場のない視線だけ、窓の外を流れる光りの帯をただ映していると。

「こっちを向け」

 優しく命令された。
 目が合って反射的に逸らしたのを、顎の下をやんわり掴まえられる。次に何をされるのかは分かって、思わずきゅっと目を瞑った。
 唇に押し当てられた少し弾力のある感触。舌先が中に入れろと無言の要求を伝える。おずおずと口を開くと、遠慮なしに奥まで入り込んで深いキスを繋げた。
 
 何だかよく分からない。亮ちゃんにされた時は胸の奥が切なくなって波打って。今にも溢れ出
しそうなナニかが来たけど。今はただ。自分の口の中を他人の舌が征服したがってるのを、受け容れているだけ。

 きっと。これが躰でも同じなんだろうと思った。
 社長がわたしを征服してそれで気が済むなら。
 受け容れる。それだけ。・・・一度きりじゃないとしたって。
 

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