臆病な背中で恋をした
 次の日。いつも通り夕方6時で退社して、約束まで珈琲ショップで時間を潰す。
 今回は前もって言われたから、オフタートルのニットワンピースにブーツっていうちょっとだけ可愛い目の恰好にしてみた。三好さんに、デートかと冷やかされたのを友達と食事だと誤魔化したけど。鋭くて焦った。
 
 気もそぞろで10分前には待ち合わせ場所に立つわたし。終業のチャイムがあれほど待ち遠しかったのなんて、初めてかも知れない。
 気になって何度も腕時計を覗き見る。やっと亮ちゃんに逢える、それが一番で。せっかくの時間を台無しにしないよう大切にしよう。小さな苦さをそっと仕舞い込んだ。

 7時少し前。黒のスポーツセダンが静かにわたしの前に停車した。もう亮ちゃんのだって分かるから、そのまま助手席のドアを開けてシートに収まる。

「・・・待たせたか?」

「ううん、平気」

 久しぶりに見る亮ちゃんの顔。なんだかものすごく安心した途端・・・顔が歪んだ。

「泣くな。・・・明里」

 目尻を指で拭われながら。自分で思ってたよりずっと逢いたかったんだ・・・って。

「・・・・・・ごめ。・・・逢えて、うれし・・・」

 鼻をすんとすすり泣き笑いになると。触れるだけのキスをされ、髪を撫でられた。

 紺色の三つ揃いにグレーのネクタイ姿も、相変わらず決まっていて。あまり崩れることがない端正な横顔に見入る。ふと。それが少しくすんで見えたから。

「亮ちゃん疲れてない・・・? 大丈夫?」 

 躊躇いがちに口にすると、ハンドルを握る表情が微かに揺れた気がした。

「心配ない」
 
 それでも再会した頃より感情が読み取れる時もある。
 ひとつ誤れば後がない、綱渡りのセカイで生きるには。ココロを鋼鉄のように固めないと、耐えられないのかも知れない。

 気を赦せて安らげる場所ってどこかにあるの?
 ただの入れ物みたいなあの部屋で。亮ちゃんは何を思うんだろう。
 亮ちゃん。わたしは亮ちゃんの為ならなんでもしてあげたい、何にでもなりたい。
 胸の中に、どんな風に煽られても吹き消えない願いを灯してる。
 
「腹が空いてるだろう。何がいい」

 訊かれて思い付きで答える。

「うーんと。・・・作る?、亮ちゃん家で」

 いつも外食だろうしって思っただけで。亮ちゃんが黙りこくっちゃったから、慌てて言い直す。

「あっ、えぇっと、無理にじゃないから! わたしならお寿司屋さん以外ならなんでも・・・」

「いや・・・。明里の手料理を食べる日が来るとは思ってなかったからな。・・・少し驚いただけだ」

 苦そうに・・・困ったように。仄かに笑みが滲んでいた。

「どこか寄って買って帰るか。どうせ泊まる用意もしてないんだろう」

 横目で一瞥されて言葉に詰まる。だって。・・・そうなるかなんて分からなかったし。 
 急に恥ずかしくなって顔まで熱くなった。何も云えなくなってるわたしを、意地悪気に見やり。
 
「男が女を誘うのは下心があるからだ」

 どこかで聴いたようなことを言って、亮ちゃんは口角を上げたのだった。



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