高桐先生はビターが嫌い。
「……、」
篠樹がリビングから出て行ったのを、俺は横目で確認する。
そして、静かに服のポケットから取り出したのはスマホ。
俺は篠樹に気づかれないように、“ある女性”に電話をかけた。
「……あ、もしもし。唯香?俺、」
こうしてまともに連絡するのはいつぶりだろうか。
電話の向こうで「どうしたの」とビックリされたけれど、俺は要件だけを伝えた。
「あー…ちょっと、言わなきゃいけないことがあって」
『うん、何?』
「来週からしてた約束、あれ俺はいらないから」
『えっ!何で!もしかして気を遣ってる?別にいいのに!』
「ううん、そんなんじゃないけど」
どうしても、今の俺には守らなきゃいけない子がいるから。
だけど彼女にはそれを伝えずに、やがて「じゃあ」と電話を切る。
そして画面の上の方に目を遣ると、飛び込んで来たのは「篠樹の彼女」という俺がつけた登録名。
「…~っ、くそ!」
…思い出したくない。
もう繰り返しはしないから。
だけどこう見えて、実は本気で好きだった。
「篠樹の彼女」と名付けたその登録名の彼女は…実は俺の元恋人。
“ごめんね陽ちゃん。あたしと別れてほしいんだ”
“あたし、篠樹くんの方が好きみたい”
“ほんと、ごめんね”
俺は彼女にそう言われた時のことを思い出すと、深く深く、ため息を吐いた。
もうあんな思いをするのは嫌だ。
俺だって本当は、ずっと日向さんと同じ。目に見える本当の愛が欲しいから。
ほんと、それだけでいいから感じてみたい。
だけど何で?
本当はこれ以上近づいちゃいけないあの子に、俺は何をこんなに与えたがっているんだろ…。
人に、こんなに何かをしてあげたいって思うのは、初めてだな。
何か、変だな…俺。
俺はそう思うと、スマホをテーブルの上に置いて、ソファーに深く腰掛けた。
…教師失格、かな。