高桐先生はビターが嫌い。
それをまた、いつもの笑顔にすりかえて。

手を振って、その場をあとにしていく。

あたしはそんな唯香さんに、慌てて手を振り返して。

気になってはいたけど…そのまま。

呼びとめるようなこともなく、見送ってしまった。

…あの、寂しそうな…悲しそうな…なんとも言えない表情は。

後藤先生の時と、少し似てる。



でも、手元にあるチェリーパイの良い香りが、優しく鼻を掠めるから。

まだ、高桐先生が帰って来ないうちに、あたしはキッチンに戻った。

…余計なことはなるべく考えない。考えない。考えないで…。










…奈央ちゃんに手を振って、玄関のドアを閉めて。

ひとつ、ため息を吐いた。



「はぁー…」



そしてさっき、陽ちゃんから来ていたラインをもう一度確認する。

…これはあたしが別に仕掛けたわけじゃない。

たまたま。本当にたまたま、あたしのスマホに陽ちゃんから連絡が来ていて。

奈央ちゃんの前で、ちょっとビックリしちゃったじゃない。



『もしかしてまた篠樹と喧嘩した?』



…絵文字無しの陽ちゃんらしいシンプルな文章。

付き合っていた頃は、これにも多少の不満はあったっけ。…でも。

今はそれが…そんな陽ちゃんだからいい。

ちなみに、あたしがそんな陽ちゃんからのメッセージに、さっき送った返信の内容は…



『篠樹くんとはもう別れようと思う』



…そんなこと、本当は一ミリも思っていないけど。

そう言ったら、陽ちゃんは心配してくれるでしょ?なんてね。

そう思っていたら、また陽ちゃんから返信が2通きて。



『やめて。それは俺が困る』

『話聴くから、ちょっと部屋で待ってて』



そんな言葉が、表示されてあった。



「…めんどくさ」



でも。かわいい陽ちゃんのためだ。

あたしはスマホを閉じると、合鍵を鞄のポケットから取り出して、玄関のドアの鍵を開けた。



「……」



…ほんと、ムカつくくらいお人好し。
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