高桐先生はビターが嫌い。
しかしあたしがそう聞くと、その女の人が不思議そうな顔をする。
「たかぎり…?さあ?誰?」
「!」
「…あ、でも、あたしが知らないのも無理ないわ。あたしはこのマンションに越してきて、まだ一か月経ってないから」
「…え!」
「もういいかな?あたしこれから、出かけなきゃいけないのよね」
「あ、はい!もう大丈夫です、すみませんでした、」
女の人の言葉にあたしがそう頷くと、その人はすぐにまた部屋の中に入っていく。
あたしがドアの前で呆然としていると、市川が言った。
「…え、日向、どういうことなの?ちょっとよくわかんないんだけど」
「…」
「高桐先生って。何でさっきの人に高桐先生のこと聞いたの?…まさか…」
「…」
市川のそんな言葉に、あたしはトボトボと自分の部屋に足を運ばせながら言う。
「…隣に住んでたの」
「!」
「市川には言ってなかったけど、高桐先生、たまたまあたしの隣の部屋に越してきて、さっきの部屋に住んでたんだよ。」
「ええっ!」
あたしはそう言うと、懐かしいマンションのカギであるカードをカバンから取り出す。
カードは日本を出る時に一旦このマンションの管理人さんに預けていたけれど、今回シンガポールを出る時に手続き用紙と一緒に送って貰ったのだ。
あたしがそのカードでドアのカギを開けていると、その間に市川が言った。
「っ…え、何それ初耳なんだけど!」
「…ごめん」
「いや、そういうことじゃなくて!…え、てことは、さっきのあの部屋に高桐先生がいなかったってことは…」
「引っ越したんだろうね。…いつの間にか」