手の平にキスを
「今までのお家賃はお返しします!」


へ?


「だから……今すぐ出て行ってください……!」

そりゃないぜ、頭金もないからと粘ろうとした俺の作戦が。

つまり彼女は本当にはお金に困ってないから、俺が家賃として支払った金は手付かずで残してあるってことか……なのになんで同居なんか?

「──判りました。」

俺は普通のトーンで言った、ドアの向こうには聞こえていないであろう声で。

そしてノブに手をかけ、一気に開けた、ドアは内開きだ、全開にすると彼女はドアに手でも掛けていたのか、両手を顔の辺りに上げた姿勢で立っていた。

「な……」
「な……っ」

二人の声が重なった。

「なんだ、そのメガネーっ!」

俺は吹き出してしまった。

「だから見ないでって言ったのにーっ!」

彼女は両手で顔をすっぽり覆った。

それでも手からはみ出しているメガネはかなり分厚いレンズなのが判る。さっきは絶世の美女だったのに、今はギャグ漫画のキャラクターのように小さな顔の中に大き過ぎる目がぎょろりとしていた。

それを見られたくないのだろう、両手で隠してしまっている。

「ご、ごめん……ちょっと衝撃ありすぎて……ごめん、笑った訳じゃないから……」

うう、やばい、声も肩も震える……踏ん張れ、彼女は傷付いてる!

彼女は右手の中指と薬指を開いて俺を見た、やっぱり……宇宙人みたいな目がある。

でも俺は口元だけの爽やかスマイルになるよう、堪えた。

「近藤さんが顔を見られたくないのは、そのメガネの所為なんですね?」

彼女は再び指を閉じて天井を仰ぎ見た。

「大丈夫ですよ、可愛いですよ、なんでそんなに恥ずかしいんですか?」
「可愛くなんかないです! これで散々いじめられました!」

天井を見上げたまま怒鳴る。

「いじめ?」

「生まれつきの極度の遠視です! 物心ついた時からメガネでした! 幼稚園の頃はこれを指摘する子はいませんでしたけど! 小学校に上がった頃から笑われるようになって! 子供って残酷ですよね! 一人が言い出すとみんなでグルになって! 一時はコンタクトにもしたんですけど! メガネザルがオシャレしてるって笑われて!」

「近藤さん」

「高校に上がれば変わるかと思ったけどダメでした! 何しても変わらないならもういいやと引きこもりました! 人と関わってこなかったので、人付き合いは苦手です! それでもいつまでも親元にはいられないし迷惑かけたくないし! 家は出たはいいけど、本当に私は世間知らずで! 生きて行くのも大変で!」

「だから」

俺は冷静に声をかけた、近藤さんはようやく口を閉じた。

「自分を変えたいと思うから、ルームメイトの募集をしてたんじゃないんですか?」

言うと、天井を見た姿勢のまま、手とメガネの隙間から俺を見た、メガネ通さない、可愛い瞳が俺を見る。

「俺、笑いませんよ。近藤さん、綺麗だと思います」
「嘘!」
「嘘じゃないですよ、ほら、手、どかして」

手首を掴むと、頭ごとブンブン振って拒否される。

「嫌です!」
「じゃあメガネごと取っちゃえ」
「や……!」

メガネのつるを持って顔から外すと、手もついてきた、あーやっぱ超美人じゃん、メガネが勿体ないちゃあ勿体ないけど、別にどれも近藤さんだし。

「鷹栖さん!!!」

怒る顔も、かわいー……。

「もう、ルームメイトは解消……!」

その顔を腕で隠しながら言う。

「嫌です」

今度は俺が否定する番。

「えっ!?」
「今日から俺の任務は変わりました、近藤さんを外出できるように調教します」
「ちょ、調教!?」
「あ、ごめんなさい、なんか違うな……教育? しつけ?」
「大して変わりません! 私はそんな事希望していません! ちょっとしたお買い物とか、ロビーに届いた手紙や荷物を持ってきてもらいたくて……!」
「うん、やります。そうだな、まずはその辺から自分でできるように練習しましょうか」
「嫌だから、あなたに頼んで……!」
「はいはい、いいから、いいから。とりあえずご飯食べましょうよ」

俺は歩き出しながら言った、彼女は俺の腕に縋り付く。

「メ、メガネ……! 返してください……!」
「室内も歩けないほど酷いんだ?」
「そ、そんなことはないですけど……!」

さっきはメガネ無しで部屋に戻ろうとしてたもんな。

「まあ、しょうがないですねぇ」

メガネは返してあげた、彼女はホッとした様子でそれをかける。

二人で食卓の準備を始める。

あーなんか……。

「新鮮でいいですね、初めて二人でこんな風に。」

テーブルを布巾で拭きながら言うと、料理を取り分けていた彼女の手が止まった。

恥ずかしそうに真っ赤になって、あーかわいっ。

彼女がカウンターに次々器を並べる、俺はそれをテーブルに置くのだが。

いたずら心で。

小鉢を置いた彼女の左手首を掴んだ、彼女が悲鳴を飲み込んで手を引っ込めようとするけれど、勿論簡単そんな事させやしない。

「なんですか……っ!」

上目遣いのその瞳は、レンズから外れて本来の可愛らしさを見せる。

俺は笑った、彼女には見えていないんだろうな。

俺を拒否するように引っ込めかけた状態のその手の平に、俺はキスをした。

「~~~~~!!!」

彼女の声にならない悲鳴を聞いた。

俺が手を離すと、彼女は自分の手を取り返すように引っ込める、いいなあ、可愛い反応。

「鷹栖さん!」

耳も首までも真っ赤にして、彼女は怒鳴る。

「て、手の平にキスなんて……!」
「いきなり唇って訳にはいかないでしょう?」
「当たり前です!」

あ、でも、拭いたりはしないんだ、手をぎゅっと握り締めてる。

「済みません、可愛い手だったので、つい。」


「何でもかんでも可愛いって! あなたはゴキブリでも可愛いって言うんでしょう!?」
「それはさすがにないな。本当に近藤さんが可愛いからです。」

確かにそいつも同居してるだろうけど、害虫と一緒にしないでよ。

「ねえ、ひろみさん。」

俺はわざと名前で呼んだ、ひろみさんはびくりと怯える。

カウンターに頬杖をついて視線を合わせた、ひろみさんは泣き出しそうな大きな目で俺を見つめる。
まだ濡れてる髪も、そそるよなあ。

「これからも、よろしくお願いしますね?」

彼女は返事をくれなかった、真っ赤な顔でそっぽを向いてしまう。

それでも食器棚から二つのお皿を引っ張り出した。

諦めたのかな?
もう、見せてくれるのは手だけと言うことはないだろうな。

まずは部屋から出て、目を見て喋れる訓練をしましようね。

そして少しずつあなたの傷付いた心を癒して、いつか二人で太陽の元、買い物にでも行きたいです。




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