女探偵アマネの事件簿(上)
「……やるせませんね」

「そうだな」

ジャックを貧民街にある救貧院に送り、ウィルはジャックと約束した。

『何があっても、今すぐ神様のとこへ行こうとするな。自分の人生は、生まれた時から自分だけに与えられたものだ。それを誰かに譲ることも、代わることも出来ない。お前が自分で背負ってけ。その代わり、何かあったら俺のとこへ来い』

ウィルの言葉を、アマネは一字一句違えず復唱し、ウィルを見上げる。

「……彼は、恐らく長くはないでしょう」

ジャックの目の下には濃いクマがあり、体も痩せ細っていて体力もない。しかも、頬は痩けて、腕からは骨が出っ張っていた。

栄養失調と、後はスラム街で流行っている病気だろう。

「救貧院は、育てられない子供を引き取り、労働力として働かせる。一日の食料を得るために………満足な食事もさせられず、病気になっても診てもらえない。お偉いさん方は見て見ぬふりだ」

福祉国家イギリス。けれども、貧富の差は年々広がり、イースト・エンドは、犯罪が特に多かった地区だ。

時間制の借家で寝泊まり出来るものも少なく、大体は路地や道端に座り込んで夜を明かす。それが、悲しい現実だった。

「俺は、こんな所で死ぬのは絶対に嫌だったな。救貧院から逃げ出して、生きるために必死だった。何度も騙されそうになったり、傷つけられたりしていくうちに、一時期荒れてたし」

ウィルの言葉に、始めて会った時のことを言っているのだと思ったアマネは、軽く頷く。

アマネとウィル。二人の出会いは正直あまり良いとは言えなかった。種類は違ったが、お互いがお互いに人間不信だったのだ。

「彼は………ジャックは、弟に似ていたんです。最後まで私を憎んで死んだ。弟に」

「……弟………か」

他人のそら似と言う言葉があるが、アマネは本当に驚いた。顔立ちは日本人とイギリス人では全く違う。

けれども、ジャックはアマネの弟と重なるほど、良く似ていた。

「私は、ジャックを助ける力すら持てない。あの救貧院から彼を救えるだけの力がないことが、こんなにも悔しくて、自分に苛立ちます」

救貧院は何ヵ所かあるが、恐らくジャックのいる救貧院は他の所よりも、酷いだろう。

けれども、施設を維持させるだけで精一杯の人々を、一概に責めることなど出来なかった。

施設がなければ、更に多くの子供が亡くなってたかも知れないのだから。

「彼らのことを洗いざらい調べれば、逆に国にとって邪魔な存在と見なされてしまう。……私は、ジャックを、見殺しにしてしまうんです」

痛いほどに、アマネは自分の手を握りしめる。すると、爪が食い込んで血が滲んだ。

「……それは、俺も同じだろ。お前一人が責められるべきじゃない」

握り締められたアマネの手に、ウィルは自分の手を重ねる。

「だから、泣くのを我慢するなよ」

「…………泣きませんよ。……………どうやって泣けば良いのか、もう分かりませんから」

ウィルを見上げたアマネの顔は、涙を堪えるように目元に力が入っていて、けれども雫が溜まることはなかった。

それが、余計に痛々しくウィルの目に映り、アマネの頭を乱暴に撫でる。

「お前の好きなスコッチエッグ作ってやるよ。帰るぞ」

「後、コーヒーとパンケーキとスコーンと、カスタードタルトとコーヒーでお願いします。後コーヒー」

「しつけーよ。コーヒー何回言ってんだよ!てか、今日はもう終わりです!紅茶で我慢しろ!」

何時ものやり取り。二人が気を遣っていない、ありのままの自分でいられる時間。

そんな二人を、一人の男が見つめていることなど、ウィルとアマネは気付かなかった。
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