女探偵アマネの事件簿(上)
ウィルの過去
俺が生まれたのは、イースト・エンドにある貧民街。スラム街とも呼ばれる場所だった。

ウィリアム・ヴァレンタイン。それが俺の名前。

ウィリアムは俺の名前で間違いないけど、ヴァレンタインって言うのは、俺を最初に拾った爺さんから貰ったものだ。

でも、名前なんてあそこでは殆ど呼ばれなかったけどな。大体は「お前」とか「こいつ」とかだ。

俺の母親は娼婦で、父親は誰か分からない。俺を生んだ母親は俺をすぐ救貧院に渡した。

多分、俺は彼女にとって要らなかったんだろう。彼女の仕事柄、時に望まぬものを得てしまう。

自分一人で生きていくのが精一杯だった彼女は、二つの命を育む余裕などなかったんだろう。

彼女があの時どんな気持ちで、俺を救貧院に渡したのかは分からない。厄介払いができてホッとしたのか、それとも、少しは惜しんでくれたのか。

でも、今なら俺を手放した彼女に感謝できる。


救貧院での生活は、正直最悪だった。例え子供でも、自分の食い扶持は自分で稼げと、ある程度物心ついた時から、牛や鶏を解体する工場に駆り出された。

子供って、良い悪いとか、感情がまだ発達してない頃だと、生き物の命を平気で奪える。

けど、俺は早いうちから工場に出るのが嫌だった。生きるため食べる。食べやすくするためにやる必要なことでも。

救貧院では満足のいく食事はさせてもらえない。せいぜい味の薄いスープの中に、ふやけたパンが入ってるくらいだ。

俺はそれでもまだ、救貧院から逃げ出そうとは思わなかった。俺より小さいのもいたし。

でも、切っ掛けは案外すぐやってきた。

ある日、俺が妹のように可愛がっていた女の子が、病にかかって倒れた。

俺は休めさてほしいと頼んだが、大人達は女の子を無理矢理働かせた。俺とはまた別の分野なので、自分の仕事が終わるまで女の子には会えない。

どうしても気になった俺は、大人達がいつも話し合ってる部屋がある廊下へと走っていって、壁にしっかり耳をつけて中の会話を拾う。

『あれはもう駄目だな』

『感染性の病の可能性があるなら、遺体は燃やした方が良いだろう』

『大人になれば、それなりに良い女になれただろうに。惜しいことだな』

大人達の会話の意味は、子供だった俺には良く分からなかった。けれども、女の子にもう会えないということは分かった。

だから、俺は逃げ出した。他の小さいやつらのことも気がかりだったが、俺は何がなんでも生きたかった。

大人達が俺の失踪に気付いて、あちこち探し回るかと思ったが、案外それはなかった。

代わりならいくでもいる。という考えだったんだろう。

当てもなくさ迷い、時には物ごいのような真似をして、イースト・エンドを歩いていった。
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