約束
第八話
(……ここは)
うっすらと蛍光灯の光が目に入ってくる。左手をついて起き上がろうとするがうまく動かない。身体を起こそうにも胸の辺りが痛み、起き上がれない。
(ああ、確かあの桜の大樹から落ちたんだっけ……、じゃあここは病院か……)
洋助は助けを呼ぶために声を出そうとするが、うなり声になってしまいちゃんと声が出せない。目の端の方では智子が自分の名前を呼びながら泣いている。
(あぁ、なんかよく分かんねぇ)
声も出せず身体も動かせず何も出来ないことを悟り、現状を把握するのを諦めて目を閉じた――――
――翌日、再び意識を取り戻し、動けない状態のままベッドで智子や医者からの説明を受けても、洋助は状況を把握するのに半日はかかった。それだけ信じられない内容だったのだ。
話によると、大学へ通う途中に寄ったコンビニ。そこで買ったハンバーガーを食べながら横断歩道を歩いていた。ここまでが現実の記憶らしい。
その後学校に行ったはずだが、それは夢の中での出来事であり現実は違った。智子が事故の目撃者から聞いた話だと、対向車線で居座っていた犬。あの犬を連れ戻そうと道に飛び出た飼い主を避けた乗用車が自分に激突し、意識不明のまま病院に運ばれた。
交通事故では珍しく脳に損傷はなかったみたいだが、胸部を中心に負傷が大きく、折れた骨の一部が心臓付近に刺さり一時心肺停止になったらしい。ここまで聞いて、何故こうして生きているのかが不思議に思ったが、その理由は奇跡としか考えられない状況だった。
心肺停止になる前の状態から、洋助の身体がもう長くないと判断した医者と親は、臓器移植が可能かどうかを模索。そこへ、タイミングよく自分に合う臓器ドナー提供者が近県に存在し、そくさま移植を決定する。
幸運はそれだけではなく、時間を争う手術だったにも関わらず、臓器の運搬から摘出・移植とすべてスムーズに進んだ。臓器移植のとき必ず懸念される拒否反応もほとんどなく、ベテラン医者も奇跡づくめだと言っていた。
「骨折もまだ完治してないし、移植の経過も見なきゃいけないから、一年はこのまま入院よ。まったく、世話ばかりかかすんだからこの子は……」
呆れたセリフとは裏腹に智子は嬉し涙を浮かべていた。貴史も同じような叱責を吐いていたが、手術から目が覚めるまでの一週間、ほとんど寝ずに心配してくれてたのだろう。目の下には大きなクマができていた。
(親の気持ちの大きさに、俺は今まで気付けてなかったんだな。あの夢はきっと、こんなバカな生き方をしている俺へのアドバイスだったんだ。大ちゃんが言っていた『夢を忘れちゃダメ』ってセリフは、真剣に生きろっていうことだったのかもしれない。医者になって大事な人を救うってことが大ちゃんの夢だったもんな。夢の中だったけど、大ちゃんの存在はある意味俺を救ってくれたし。この傷が癒えたら今度こそ本当に会ってみたいな)
夢で会った大の姿を思い出しながら洋助は眠りについた。
アスファルトできれいに整備された山道を鈍行バスが上って行く。真冬ということもあり、山の頂きには冠雪が見て取れる。平野部では降らない雪も山の奥地まで来ると違うのだろう。細かい雪がチラチラ舞っている。
退院してから二か月が経過し、臓器移植の拒否反応もほとんどなくなり身体は完全に治った。臓器移植から退院まで約一年半、こんなに早く治るのは本当に奇跡だと、チョビヒゲの執刀医は驚いていた。しかし、一番驚いているのは洋助本人である。
今こうして生きているのも信じられないし、あの夢の内容がすべて夢だったというのも信じられない。自分はまだ夢の続きを見ているのでは、という錯覚に陥ることもある。
その錯覚や現実に決着を着ける意味もあり、洋助はこの場所を訪れたのだ。バス停からしばらく歩いて行くと目的地が遠くに見えてくる。
コンクリートできれいに舗装された階段を昇りきると、そこには見渡す限りの水面が広がっていた。
「ここが、旧森上村か」
洋助は複雑な気持ちでダム一面に広がる水面を眺める。大自然の中にあって似合わない無機質なダム。しかし、その無機質が生み出す水面は違った自然を表現している。
「あの神社や桜の大樹も、これじゃあ確認することもできないな。夢で会った大ちゃんが子供の頃の友達だったのか、夢で見ただけの空想の人間か、結局分らずじまいだな……」
ダムのフェンスに寄り掛かって水面をボーッと眺める。チラチラ降る雪が湖に舞い落ち、ダム湖は海や川と違った静寂を保つ。しかしそれは、どこか虚しい気持ちを洋助に呼び起こす。
(夢を忘れちゃダメ、か。大ちゃんくらい胸張って語れる夢、残念だが今の俺にはない。誰かの臓器により生かされた先の人生、どうすればいいんだろうか)
退院してからも学校にはリハビリ中とし休学をしていた。両親も退院以来、細かいことは言わなくなった。きっと、気を遣ってくれてるだろう。
「なんか、ずっとモヤモヤが晴れないんだよな。ここに来たら何かあると思ったんだが。仕方ない、帰ろう」
大きく白い息を漏らし、水面から目を背けると来た道を引き返す。ちょうどそこへ一人の女性が階段を昇りこっちへ歩いて来る。