約束
最終話
年齢は二十歳くらいだろうか、両手には白い布で包んだ正方形の木製の箱を抱えている。大きさから推察するにきっと骨壺だろう。
女性は洋助に軽く会釈をして通り過ぎて行く。その後ろ姿が気になりじっと見つめる。
(もしや、誰かの後を追って投身自殺なんかしやしないだろうな)
一抹の不安がもたげ、女性を見つめ続ける。女性はその視線には気付けていないようで、箱を抱えたまま水面を眺めている。
しばらく女性を見つめていると、何を思ったのか女性はフェンスに手を掛けてピョンピョン跳ね出した。
(うお! やばいだろアレ!)
洋助は慌てて女性に駆け寄って飛び降りないように制止する。
「ちょっ、アンタ何やってんだ! まだ若いのに早まるなよ!」
フェンスに手を掛けている腕を掴みながら必死に諭す。しかし、女性の方は逆にキョトンとしている。
「何があったか知らないけど、命を無駄にしちゃダメだ! 俺なんかが言っても説得力ないけど、命って大切なんだよ!」
洋助の説得に女性は状況を把握し笑顔で応える。
「ご心配ありがとう。でも安心して下さい。私は自殺志願者ではなく、このダム湖に沈んだ村の元住人なんです」
「へっ?」
「ごめんなさい。勘違いさせちゃったみたいですね。私はただ沈んだ村を見たくて飛び跳ねてただけなんです」
「なんだよ、紛らわしい……」
腕を放して肩で息をしながら床に座る。退院以来あまり運動をしてないせいか息が簡単に上がってしまう。
「あの、大丈夫ですか?」
女性は心配そうに洋助の顔を覗く。
「大丈夫。ちょっと運動不足なだけだから。俺のことはいいとして、君が沈んだ村の出身っていうのはホント?」
「はい、生まれも育ちも森上村ですよ。沈んでから十年くらいは経つんですけどね」
「へぇ、実は俺も昔この村で住んでたらしいんだ。小さすぎて全然覚えてないんだけど」
「そうなんですか。実は私も久しぶりにここに来たんです。沈んでしまった自分の故郷なんてあんまり見たくないで」
「じゃあ、なんで今日来たんだ?」
「……兄に、亡くなった兄に故郷を見せたかったから、それで」
女性はそう言うと箱にかけてあった布の上部だけをほどき、箱から骨壺の蓋を取り外す。
「散骨ってホントは勝手にしちゃダメなんですけどね。ちょっとだけなんで内緒にしといて下さい」
女性は照れながら遺灰を少しだけ摘み、水面に向かって散らす。白い粉が雪と風景に溶け込むように消えていく。洋助はその様子を見ながら何故か熱いものが胸に込み上げていた。
「あの、差し支えがなかったらでいいんだけど。お兄さんって、最近亡くなったの?」
「いえ、亡くなったのはけっこう前ですね。正確に言えば脳死状態になったのが去年の夏です。そして、親族でゴタゴタと一悶着あって一か月後に生命維持装置を切って亡くなりました。ゴタゴタしたのは、兄が臓器提供意思表示カードを持ってて、脳死後すべての臓器を提供する意思を残してたからなんです」
臓器提供という単語に、当然ながら洋助の胸の鼓動は波打つ。
「摘出された臓器がどうなったか私も知りません。もともと分からないシステムらしいですし。ただ、私は兄の意思を尊重し、返ってきた骨を見て故郷を見せてあげたいと思い、今日こうしてやって来たんです」
(もしかして……)
「あの……」
洋助が声を掛けようとしたとき、箱に引っ掛かっていた布が風で捲れ上がる。そして、その布で隠れていた箱の隅に書かれてある名前が偶然目に止まった。
(あ、あれは……じゃあこの遺骨は……)
「ん? どうかしました?」
「あ、いや、なんでもない」
(じゃあ、この女性は。そうか、そうだったのか。夢で見た記憶は大ちゃんの記憶だったんだ。移植された臓器の記憶と俺の記憶がシンクロしてあの夢を見たんだ。そして、幼い頃に交した約束を果たしてくれた……)
洋助は頬に伝う涙を拭きながら立ち上がる。女性は突然の涙に驚きあたふたしている。
「あ、あの、どうかしました? 私変なこと言いました?」
「いや、君は悪くないよ。ちょっと目にゴミが入っただけだから。それで、突然で申し訳ないんだけど、もしよかったら、俺にもお兄さんの散骨をさせてもらっていいかな?」
「あ、はい。兄もきっと喜ぶと思います」
「ありがとう」
洋助は骨壺から遺灰を少し摘むと、ダム湖に向かって散らす。白い遺灰は雪のように美しく広がり、キラキラ光りながら故郷へ舞い降りていく。幼い頃二人で誓った約束を思い出しながらその光景を目に焼き付ける。
(約束!)
(ああ、約束!)
(俺はどんな病気も治せる医者に! 洋は悪者をやっつける警官に!)
(約束する!)
(大人になってどっちが困ったときは助けるんだ!)
「約束、オマエは約束に向かって進みそれを守った。俺はいつしか夢を忘れてしまってたんだな。でも、今やっと思い出したよ。今度は俺が約束を果たす番だ。今からでも、遅くないよな」
独り言を言う洋助を女性は怪訝そうに見る。骨壺を収める箱の外側には伊藤大という文字が刻まれていた。
(了)