出稼ぎ公女の就活事情。
 そうでもなかったとわかったのは、その後わりとすぐ。
 夜になってからだった。

 
 お嬢様はとても可愛らしい。
 今年で10才になられるのだけれど、少しだけオマセさんだ。

「リディアは恋人はいないの?」

 二日目の夜、わたしは別棟にある使用人用の食堂で食事を終えた後、再び母屋に戻ってお嬢様のお部屋で本を眺めていた。
 わたしは眺めているだけで読んではいない。
 お嬢様が読んでいる横で時折お嬢様が読めなかった文字をお教えするだけ。

 その本はフランシスカで流行っている恋物語のお話だった。もちろん中身はちゃんと子供向けに描かれている。
 挿し絵付きなのだけれど、その絵がとてもキレイで素敵だった。
 絵の中のお姫様はクリノリンで広がったフワフワのドレスを着て、首もとにキラキラとしたダイヤモンドのペンダントをしている。
 わたしだって一応は一国の公女なのだけど、実物の公女なわたしより、絵の中のお姫様はずっとお姫様らしい。

 子供の頃は年頃になったらお姫様のようなドレスを着て、舞踏会で王子様と踊るのだと思っていた。
 本の中のお姫様のように。

 けれども現実は始めての舞踏会の夜もわたしはお姉様のお下がりのドレス。
 私付きの侍女のマーサが上手く手直しをしてくれたドレスはクリノリンを着けずに着るタイプのもので、腰よりも少し高い位置で太い光沢のあるリボンを巻いて、前で結ぶものだった。

 クリノリンで膨らませないので当然ボリュームはなくストンと落ちるものだったけれど、柔らかな薄い素材を重ね合わせたスカートのドレスは腰の位置が高く見え、おなか周りも目立たなくしてくれた。
 ただリボンが高い位置にあるぶん胸の大きさが強調されるように思えて、少し落ち着かなかったけど。
 
「残念ながら」

 わたしはそんなことを思い出しながら、お嬢様の問いに答える。

「まあ!でもリディアは平民だからまだ大丈夫ね?わたくしは貴族だから18までには結婚しなくてはならないんですって」

 おしゃまな口調で言うお嬢様に思わずひっそりと苦笑した。大人に言われたら嫌みと受け取るところだけど、まだまだお子様なお嬢様にそのつもりがないことは顔を見ればわかる。

 平民でも十分ギリギリですよ、お嬢様。
 胸の中でだけそう返して、それにわたしも一応は公族だし、全然大丈夫じゃないわね。と思う。

 お嬢様はその後も本をそっちのけであれこれと質問をしてきて、気が付けば夜もずいぶん更けていた。
 メイドが入浴のために「まだもっとお話ししたい!」と可愛らしく渋るお嬢様を連れ出したため、わたしも別棟に戻ることにする。
 別棟で使用人用のお風呂(といっても湯船はなくて桶の湯で身体と髪を洗うだけ)を借りて、また母屋に戻るために外に出た。

 さすがフランシスカの貴族、というところか、男爵家といえどもお邸はすごく立派で広い。
 お庭だけでも公国の男爵家の五倍くらいはあるんじゃないかしら。

 別棟は離れにあるから、母屋に戻るとなるとその庭を横切らなくてはならない。
 お客様の目に入れるような場所ではないから、別棟と母屋を繋ぐのは木々に囲まれた細くて暗い道。
 昼間でも日の光が枝に遮られて薄暗い道を歩き始めたわたしは、すぐにカンテラを借りてくれば良かったと後悔した。
 かといっていまさら取りに戻るというのも面倒で、小走りで母屋へ急ぐ。
 時折木の根に足を取られそうになりながら視線の先に見える母屋の明かりを頼りに急いでいたわたしは、突然横から伸びてきた腕に手を取られて「きゃっ!」と悲鳴を上げた。とっさに大声で助けを呼ぼうとした口を乱暴な手つきで大きな手のひらが塞ぐ。

 木々の隙間に引きずり込まれて、強い力で太い木の幹に身体を押し付けられた。したたかに打ち据えられた背中の痛みに眉根が寄る。

「人を呼んでも無駄だ。この邸で俺に逆らえる奴なんていない」

 そう言ってわたしの口から手を放したのは昼に挨拶をしたこのお邸のご子息。

 ハアハアと息を乱して、興奮しているのか目許がうっすらと赤い。

「大人しくしてればちゃんとおまえも気持ち良くしてやるよ」
 
 舌なめずりするような卑猥な視線と、さっそく胸を鷲掴みにする手に、恐怖よりも怒りと嫌悪が先に立った。

「……ふっざけんじゃないわよっ!」

 あぁ、また武官たちに叩き込まれた護身術が役に立つ。
 いったい何度目かしら、とわたしは沸騰しかけた頭の隅でそう思った。

 思いながら右膝はわたしを木に押し付ける男の急所--股間を思い切り蹴り上げていた。
 

 


 
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