思い出はきれいなままで
小さく息を吐いて、私はノックをすると返事を待った。
「はい」
少し遅れた返事に、私はそっと中に入ると、真剣にパソコンに向き合っている社長に目線を向けた。
「ここに置きます」
集中しすぎてこぼしたら大変だ。
私は少し離れた所にカップを置くと、社長に声をかけた。

「ありがとう」
画面から目線を上げて、微笑んだ社長に、胸が音を立てた。

あの頃の気持ちが一気に溢れてくるような気がして、慌てて一礼すると逃げるようにドアのノブをに手を掛けた。

「加納!」
不意にあの頃のように呼ばれて、私は動きを止めた。

「はい」

平常心、平常心。
そう言い聞かせて、私はゆっくりと振り返った。

「今日の夜、時間ある?君の歓迎会」
「あッ……。はい。ありがとうございます」

途中までドキドキして聞いていたが、『歓迎会』という言葉に、私は一気に現実にもどされ、無意識にお礼を言っていた。

「じゃあ、また終わったら声かけるから」
そう言われ私は頭を下げると、そそくさと社長の部屋を後にした。
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