思い出はきれいなままで
「何から話そうか……」
少し考えるように言葉を止めた社長は、フッと表情を緩めると私を見た。

「俺はお前が何も言わないから、気づいてないと思ってた。俺の事なんてもう忘れてる。思い出にも残らない男なんだろうなって」
その言葉に、驚いて私は顔を上げた。

「何それ……?名字が違うから……私は……」

「それでも尋ねることはできただろ?」
そのセリフに私は、心の中がザワザワと音を立てた。

尋ねることができなかった理由。
再会してわかってしまった事、それはこの人が私の中で、全く過去になっていなかった現実を突きつけられたからだった。
だからこそ、不用意に自分を苦しめるような事を言えなかった。
尋ねることも、昔話さえ出なかった。
それぐらい私には苦しくて、辛くて、そして最高に甘い思い出だった。

たった一度のキスが私にこれでもかと、傷を残していた。

「ごめん。俺の自分勝手でお前にひどい事ばかりして」

本当にそうだよ。すごくうれしかったキスが、あの後何も言ってくれなくて寂しい記憶に変わった事を知らないでしょ?

声には出せず、私は唇を噛んで社長を見た。


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