いつか、きみの空を。
「花奏」
頭のすぐ上から声が降ってくるよりも早く、黒いジーンズと筋がくっきりと浮かぶ大きな足の甲が俯けた視界に入り込んでいた。
ぎゅっと握った裾からは、白い太ももが隠しきれずに見えてしまっている。
肩も、腕も、胸元も、葵衣に見られてる。
寒いのに、体は冷えきっているのに、内側が燃えるように熱い。
葵衣の目にわたしの全身が映っているという事実に、喜びに似たものを感じてしまっているのが恥ずかしくて、気持ち悪くて、汚くて、できる限り体を丸め込む。
「風邪引くから」
葵衣の指先が一瞬、肩に触れる。
内側からではなく、外から与えられた熱に、全身が震えた。
「え……?」
ほんの一瞬、感じた熱が遠ざかった後には白いバスタオルが肩からかけられていて、反射的に葵衣を見上げると、その視線はわたしの背後に向けて逸らされていた。
勘違いも甚だしい。
葵衣がわたしを見ているだなんて。
そんなわけないじゃない。
同じ洗剤や柔軟剤を使って、葵衣のものとわたしのもの、一緒に洗濯をしているはずなのに、バスタオルからは葵衣の匂いがする。
葵衣が纏っていたわけでもないのに、びしょ濡れのわたしを見て、そこにあったものを持ってきてくれただけのはずなのに、葵衣の匂いがわたしを包んでいる。
バスタオルの両端を掻き合わせると、葵衣はわたしから離れた。
「ありがとう、葵衣」
「いいから。風呂、入ってこい」
向けられた背中は振り向きもせずにリビングに入っていく。
葵衣の匂いがするバスタオルを強く握りしめて、前髪から伝う冷たい雫に、あたたかい雫を紛れさせて、流していく。
葵衣がどんな反応を見せたのなら、泣かずにいられたのだろう。
欲情の色を濃く浮かべた瞳で見つめてほしかった?
戸惑いながらあの大きな手で肩を掴んでほしかった?
体温が低くなるのを承知で抱きしめてほしかった?
どれもちがう。
どれも、葵衣は考えすらしない。
こんな、意味のわからない涙を葵衣に見せずにいられることだけが、救いだった。
たったひとりの妹が泣いていたら、葵衣はわたしがどんな姿でいたって、目を見て、肩を掴んで、抱きしめてくれただろうから。