いつか、きみの空を。


「おまたせー……あっ、お茶入れてくれたの? 一応買ってきたんだけど、温かい方がいいよねえ。ありがとう」


「友紀さん」


緊張感はわたしだけのものじゃない。

友紀さんも声が上擦って、話すペースがだいぶ速い。


「……食べよっか」


疲れた顔に笑みを重ねる友紀さんに、わたしも笑って頷いて見せた。


こんな日に限って、面白い番組をやっていない。

バラエティっぽいチャンネルにしてあるけれど、笑い上戸な友紀さんでさえ黙々と箸を進めるほど、面白みが見つからない。

結局、お互いに箸を置くまで会話はなかった。


弁当の空を片付けて、冷めたお茶の湯呑みが並んだテーブルを見下ろす。

一呼吸置いて、わたしは友紀さんの隣ではなく、いつも葵衣がいた椅子に座って真正面から向き合った。


いつの間にか、友紀さんがテレビの電源を切っていて、リビングからは音が消えている。

わたしがつけた音を、友紀さんが消した。

その代わりなのかはわからないけれど、話を切り出したのは友紀さんだった。


「葵衣のこと、どこまで知ってる?」


「何も知らない。葵衣が出て行って連絡も取ってなかったし、昨日顔見たのが一年振りだから」


「……そう。じゃあ、全部話さなきゃね」


多分、友紀さんも葵衣の嘘を信じていたのだろう。

葵衣がいない間も友紀さんの口から葵衣の近状を聞かされていたときに違和感は感じていた。

けれど、保護者である友紀さんには定期的に連絡を取っていることに安心して、大して気にしてはいなかった。


「花奏には一番に相談して決めたことだからって葵衣に聞いてたんだけど、違うのよね?」


「葵衣はわたしに相談なんてしない」


論点をずらしてはいけないのに、余計なことが口をついて出る。

友紀さんはわたしと葵衣を仲のいい兄妹だと思っているのかもしれないけれど、対等ですらなかったんだ、本当は。


「葵衣、県外の通信制高校に行くのよ。オープンキャンパスにも何度か行っていたみたいで、どうしてもそこじゃなきゃ嫌だって言ってた。合格通知が来た時点で寮の入寮申請も済ませちゃってね……花奏も応援してくれてるって、あの子ずっと言ってたけど……合格するまでは花奏に進学関連の話はしないでって言ってたのは、花奏が知らなかったからなんだね」


一年前以前にも会えない日はしょっちゅうあったから、葵衣がバイト以外で家を空けていたって気付きもしなかった。

応援してくれてる、なんて。

よく言えるよ。頼まれたって応援は出来ない。

知っていたら、きっと心のどこかで、受からなければいいのにって願ってしまっていた。


「友紀さん、聞いていい?」


「何でも聞いていいよ」


「葵衣がずっとバイトしてたのって、県外に行くため?」


もし、最初から両親のお金に頼る気がなかったのなら、中学校を卒業した後に進学をしなかったこととも辻褄が合う。

どんな学校なのかは知らないけれど、入寮するとなればお金はかかるから。

単に県外に行きたい、家から離れたいと言うのなら、学校という選択をしなくてもいい。


「花奏に聞かれるのがこの一年のことだったなら、答えてあげたんだけどなあ」


困ったように眉を下げて、友紀さんが立ち上がる。

まさかこの場で葵衣に電話でもするんじゃないかと思ったけれど、友紀さんはテレビ横の引き出しを開け、一枚の手紙を取り出した。

それをわたしの前に置いて、椅子に座り直す。


「花奏に渡してって頼まれたのよ。あの子、本当にどうしようもないくらい頑なに言葉で伝えようとしないけど、誰よりも花奏のことを大切にしてるってことは知っていてね」


「友紀さんでも止められないくらい、どうしようもないことはわかるよ」


「止めたかったよ。高校には行かないって言われた日からずっと。だけど、葵衣は自分の覚悟が半端なものじゃないって証明したかったんだって。何年かけても、自分の選んだ道が険しいってわかっていても、葵衣にはそれしかなかったんだろうけどね」


「……どういうこと?」


「私からは言えないなあ……」


テーブルに置かれた手紙をわたしの方へと指で押しながら、友紀さんは少し、涙ぐんでいた。


「ねえ、花奏」


ぐっと身を乗り出した友紀さんがわたしの腕を掴む。

力の抜けていた腕を引っ張られて、勢いのままに立ち上がると、片手で頭を抱き寄せられた。


「嘘だけは吐かないで。自分に正直でいることの方がずっと難しくて、とても苦しいことかもしれないけど、もう嘘は吐かなくていいんだよ」


「友紀、さん?」


「花奏がずっと自分に吐いていた嘘も終わりにしていいの。……ねえ、花奏、もういいんだよ」


友紀さんのどうしてそんなことを言うのかはわからないけれど、涙混じりだった声が最後にははっきりとしたものに戻っているのを聞いて、わたしを包む腕に手を置く。

わたしと同じくらいの細さの手なのに、力いっぱいに掴んでも揺るがない。


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