女探偵アマネの事件簿(下)
適当にエプロンを着て、ウィルはダンスホールへと出る。

ワインボトルを慎重に持ちながら、ダンスをしている人々をボーッと眺めていた。

ダンスはウィルも踊れることは踊れる。何故か知らないが、ハーバルがウィルに教えたのだ。

覚えておいて損はないと言っていたが、自分が踊る機会など無いだろう。

くるくる回って、あっちこっち人が交差する様子をぼんやりとした目で追っていると、不意に黒い何かが横切った。

ダンスをしている人々を器用に避けながら、反対側に向かう人影は、何となく目を引いた。

真っ黒な髪がなびき、ちらりと見えた耳からは、銀色のピアスが見え隠れしている。が、ウィルはすぐに興味を無くしたように前を向き直し、ダンスが終わるのを待った。

一曲終えると、人々はまばらになって談笑する。ワイングラスを持ち、楽し気に話に花を咲かせており、ウィルはそろそろかとワイングラスを持つ人々の中へ入っていく。

勿論予想通りウィルの服装に、人々は馬鹿にしたようにブツブツと呟き合い、小さな罵声を浴びせている。

「まぁ……汚わらしいネズミね」

「イースト・エンドの病気持ちかもしれないぞ」

(見た目だけお綺麗な奴等に何言われても、俺は何とも思わねーよ)

さっさと注いで、ここから去りたい。何て思って、ワイングラスが空になっている婦人へと近づく。

すると、婦人は何かに気付いたように叫びだした。

「な……なな!何てこと?!………泥棒よ!泥棒が出たわ!!」

婦人の叫び声に、ウィルの足は止まり。人々も何だ何だと振り返る。パーティーの主催者らしき男が、慌てて婦人の側に寄ってきた。

「ど、どうなさったんですか?」

「あたくしの、あたくしの指輪が盗まれたのよ!さっきちょっと指から外して、そこのテーブルに置いておいたのに!でも、ほんのちょっとしか目を離してないのよ?!」

婦人は両手で頬を押さえて、絶望したように顔を青ざめる。そして大袈裟にワッと泣き出した。

「あの指輪は、死んだ主人が結婚記念日にくれたものなのに!どこの誰よ!こんな酷いことしたのは?!」

ウィルは女性が気の毒に思えて、また手を差し伸べたい衝動に駆られる。

(人の泣き顔って、嫌なもんだよな)

見ているこちらまで、悲しくなってくる。だが、ウィルは慌てて首を横に振った。

(いや、何か裏があるに決まってる!俺が慰める必要なんて…………くそっ)

頭を掻いてから、ウィルは再び婦人の側に寄ろうとする。がその時、野太い男の声がダンスホールに響いた。

「犯人はそこの小汚ないネズミだ!!」

「……は?」

自分を指差し、皮肉気に笑っている小太りの男に、ウィルは訝しげな視線を向ける。

「わしは見ていたんだ!そこのネズミが、テーブルに置かれている指輪を持ち、ポケットに仕舞いこむのを!」

(……何言ってんだよ。このおっさん)

間違いなく、自分は婦人より遠くにいた。それに、ウィルは盗みだけはしないと誓った。

けれども、男がウィルを犯人呼ばわりしてから、ただ成り行きを見ていた客達も、ウィルを指差す。

「そうよ!そうに決まってるわ!」

「何せ小汚ないネズミだ。人の物を取るのなんざ、朝飯前だろうよ」

「「泥棒!泥棒!」」

不協和音のように重なる声。罵声を浴びせ、見下したような瞳。ドクドクと痛いくらい心臓の音が鳴り、嫌な汗が身体中から噴き出す。

ウィルは、ここまで人間というものに、貴族というものに絶望したことはなかった。

(……はは。……何だよこれ…………何なんだよこれは!!)

自分が一体何をしたと言うのだろうか?ただ懸命に生きていただけだ。決して犯罪に手を染めたり、誰かを恨んだりもしなかった。

ムカついたことはあれど、全うに生きてきたと言えた。それなのに、何なのだろう?

(もう……いい)

ウィルの頭は冷静になっていき、心は冷えていく。

(……好きにしろよ)

力が抜け、ウィルは床に膝をついた。

どうでもいいと言う気持ちと、それに混じってウィルは小さく悲鳴を上げた。

誰か、助けてと。

「待ってください。彼は犯人ではありませんよ」

「「?!」」

落ち着いた、綺麗な声が聞こえた。暗闇に堕ちそうになったウィルの手を、誰かが引っ張りあげる。

どこか虚ろな目で、自分の手を掴んでいる人物を見上げた。

それは、先程ダンスホールで見かけた人物。真っ黒な髪を肩に少し付く位まで伸ばし、同じく真っ黒な瞳でウィルを見ている。

その瞳には、静かだが意思の強い光が宿っていた。

だが、ウィルは手を振り払う。

「止めろよ……何だよお前」

「ただの、探偵ですが?」

(……探偵?しかも女の?)

何の冗談だとウィルは視線で訴えると、彼女はただ無表情にウィルを見返す。

「いつまでもそこに座り込まれては困ります。それから、自分が犯人でないことは自分が良く分かっているでしょう。だったら、胸を張ってください」

彼女は今度は、無理矢理ウィルを引っ張りあげて立たせる。女とは思えない力に、ウィルは目を瞬かせた。

「お、おいおい。女がでしゃばるなよ!」

「そうよ、ジャニーは引っ込んでいなさい!」

今度は彼女が標的になったらしく、人々から野次を飛ばされる。

だが、それをものともせず、彼女は続けた。

「私一人に構っている暇はないのでは?今は婦人の指輪を見付けることが先です」

それだけ言うと、彼女は婦人を振り返った。
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