女探偵アマネの事件簿(下)
「大丈夫ですか?」

「……昨日の」

座り込んだ自分を、彼女は膝を少し曲げて見下ろす。昨日ウィルが出会った女性に、ウィルは混乱した。

(え?何でこの人ここにいんの?何で俺見下ろされてんの?てか、あ……そうだ。お礼)

「こ、こんにちは!!」

あまりの混乱から、何故か挨拶をしてしまう。

(やべ。完全に馬鹿だと思われたらどうしよう……ま、いいか。慣れっこだし)

「今は夜なので、こんばんはですね」

すると、冷静に訂正された。

逆にどうすればいいか分からず、ウィルは困ったように頬を掻いた。

「取り敢えず、座りませんか?今お茶入れます。コーヒーしかありませんけど」

「……あ、はい」


「……それで、どんな依頼でしょうか?」

「依頼?」

コーヒーを一口飲むと、芯から温まる気がしてホッとする。

「ここは探偵事務所なので、事件の依頼をお受けしてるんです。因みに、浮気調査とペット探しの受付はもう終了しました。明日また来てください。ああ、殺人事件なら別ですが」

「怖ぇよ!」

ウィルは思わずツッコミを入れてから、しまったと思った。

「……えと……その」

「因みに、普通の殺人事件ではなく、巧妙に計画された殺人事件を所望します。謎の解き甲斐があればあるほどいいですね」

「何でさらに細かいリクエストしてんだよ!!殺人事件なんて、無い方がいいだろ!」

ついにはバンっと机を叩いたウィルに、アマネは冷静な態度を崩さず、涼しい顔でコーヒーを啜っている。

(……何なんだよこいつ。第一印象とだいぶ違うぞ?!)

最初に会った時は、聡明で大人な女性という感じだった。だが、今その印象は音をたてて崩れる。

(って、そんなことより)

ウィルは当初の目的を思い出し、コーヒーカップを置いて居ずまいを正す。

「あの、俺―」

ウィルの声に被さるように、蛙の鳴き声のような音が、部屋に響いた。勿論、音の主はウィルである。

(……恥ずかしい……てか、もう死にたい)

こんな醜態をさらして、冷静でいるなど無理だ。ウィルは女性の視線が怖く、頭を抱えて俯く。

「………」

(無言なんだけど!超無言なんだけど!?)

これならまだ、罵声を浴びせられる方がマシだと心の中で叫ぶ。

「もう夕食の時間ですね。……食べますか?」

「……え?」

「丁度私もお腹が空いたので。まとめて作ります」

女性が立ち上がると、ウィルは慌てたように同じくソファーから立ち上がる。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺が作る!」

自分以外の他人の作った料理を、まだ安心して食べられない。彼女がそんな人間では無いかも知れないと思いながら、ウィルは信じきれていなかった。

「……心配しなくても、毒を入れたりしませんよ」

「……分かんないだろ。俺みたいな奴に、親切にする人間が善人だとは限らない」

「………では、お願いします。ああ、その前にお風呂どうぞ」

そう言ってからカウンターの中に入り、引き出しから何か出すと、タオルと一緒にウィルに差し出す。

「これは部屋の鍵です。アパートとは名ばかりの、ルームシェアみたいな建物ですから、台所もリビングも共有です。部屋は私の部屋の下で、この事務所の上がリビングです。着替えは適当に置いておきますね」

早口で捲し立てられ、ウィルはポカンと口を開けていた。

何が起こってるのか、全く分からない。

「……えーと?」

「お風呂から上がったら早速作ってください。食材はあるものを適当に使っていただいて構いません。私は書斎に居ますので……後」

そこで言葉を切ってから、女性はウィルにタオルと鍵を渡して、カウンターの右にあるドアへ向かう。

「申し遅れましたが、私はこのアパートの管理人であり探偵でもある、東雲天音と言います。好きなように呼んでください。では」

それだけ言ってドアを開けた彼女の背中を、ウィルはただ呆然と眺めていた。
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