蝉死暮
暖められた辺りの空気のせいで回転速度が遅くなった俺の不出来な脳は、彼女との思い出を映写機の様に映し出し始めた。

今考えてみても、病院のホスピス棟で働く医者が患者に惚れるなんて事は有り得ない事だ。

迫り来る死と言う絶対に耐えられず、苦しみもがく沢山の人間を仕事柄見てきた俺は麻痺していたのかもしれない。

どんな色でも塗りつぶしてしまう黒の様に、圧倒的で不条理な死は精神など簡単に崩壊させる。

むしろそれは普通であり、仕方ない事だ。

そんな世界にいて彼女は、明らかに異質な存在だった。
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