蝉死暮
無理だと解っていても、反射的に口が開く。

「お願いがあるの。最後のお願い。私は私でいられるうちに死にたいの」

強い決意に満ちた両目が、容易く俺の口を塞ぐ。

「これ、外して」

弱々しく酸素マスクを指差した彼女が、精一杯の声量で俺に言う。

俺は、彼女の意志を優先する事しか出来なかった。

「ありがと。大好き」

柔らかな笑顔を見せると、彼女は残り少ない命を絞り出すように歌い始めた。

か細く、弱々しい歌声が、病室の空気を震わせていく。

電子音によって途切れ途切れにされてしまっている歌なのに、俺には生涯聞いた中で一番美しく感じられた。

目の前が霞む。

涙が枯れた頃には、彼女はそこにはいなかった。
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