晴れ曜日
禁煙サインの消えない車内。
私にとって、そんなことはどうでもいいのだけど、少しだけ、喫煙者の心境を想像してみた。途中3回の休憩を挟むにしても、やはり、6時間高速バスに閉じ込められて、吸いたい煙草を我慢しなければならない状況は苦しいものだろうか。
最近は条例も厳しい。どこでも自由気ままに吸えるわけではない。
それでも彼ら、彼女らは煙草を止めずにいる。
抑圧されればされるほど人間の反感は高まるものだが、ことこの件に関して、私は首を傾げるばかりだ。そこまでしてなぜ縋り付けるのだろう。煩わしさがつきまとうばかりではないか。
何かに依存することがいいことだとは思わない。
こんなこと言っていると、なんだか喫煙嫌悪者みたいだけど、別にそういうわけではない。なにかあるひとつの物質に依存するという傾向を好ましく思わないからそんな考えに至るだけだ。
同じじゃないかといわれるとこは重々承知。だけど、私は臆病だから。
弁解やニュアンスの違いをかもし出してワンクッション置いた表現をすることで傷つくことを避けている。
医療心理学の世界ではこういう傾向が今若者の間に増えているって言うけど、そんなのいまさらだと思う。いろんな統計技術が発達して、データが集めやすくなったのが今だからそんなことがいえるんだ。だって個性を強調すると団体の中ではいつの時代もつまはじきにあうじゃないか。そんなこと小学生でも知っている。
ああ、だんだん本筋からずれてきたな。
一眠りしよう。