千一夜物語
「あれ?その別嬪さんはまさか黎様の‟これ”ですかい?」


小指を立てて訊いてきた男に澪はどきっとしたが、黎は軽くその男を睨んでしっしと手を払って背を向けた。


「馬鹿言ってないで働け」


「あ、あのっ、頑張って下さいね」


澪が声をかけると男たちの鼻の下が一斉に伸びた。

だが黒縫が低い唸り声を発して威嚇すると、慌てて農作業に従事して澪の笑みを濃くした。


「黎…さんがあの人たちを仕切ってるの?」


「仕切っている男は別に居る。俺は時々こうして檄を飛ばしに行くだけだ」


何故かよく話しかけてしまう澪は、人々の暮らしぶりを間近に見て終始目を輝かせていた。


「黎さんはここをどうしたいの?」


「自立して暮らしていけるようにする。汚い町に住みたくはないからな」


「どうしてここに住もうと思ったの?」


「…」


黎が黙ってしまったため、澪は訊いてはいけないことを訊いたのだと理解して小さな声で謝った。


「ごめんなさい…」


「別に謝ることはない。目的があってここへ来て、汚い町だったから綺麗にしようと思っただけのこと。お前も住むなら綺麗な町の方がいいだろう?」


「そう…ね、そう思います」


「もう戻ろう。風呂に入ってさっぱりするといい」


そういえば昨日は部屋にこもりっきりで風呂に入っていない。

隣を歩く黒縫の頭を撫でた澪は、一緒に入ってもいいか訊こうとして黎を見上げた。


「一緒に入ってもいいぞ。火を吐く仲間が多いからすぐ湯を入れ替えられる」


「わあ…っ、黒縫、きれいに洗ってあげるね」


『はい』


――ここはもしかしてとんでもなく居心地の良い場所なのではないだろうか?


二日目にしてそれに気付いた澪は、なんだか顔を隠すのが逆に恥ずかしくなって、黎に素顔を見せようか考えながら屋敷に戻った。


< 103 / 296 >

この作品をシェア

pagetop