千一夜物語
「きゃーっ!」


檜の浴槽に頭から飛び込んだ澪は、熱い湯を全身に浴びてあまりにも広い浴槽を泳いでいた。

実家の風呂も大きかったが、ここはけた違いだ。

一度に何十人も入れそうな風呂を独り占めした気分になってすいすい泳いでいると、同じように飛び込んで犬かきで近付いてきた黒縫の手を取って立ち上がらせた。


「すっごーい!ひっろーい!気持ちいーい!」


『すごいですね…屋敷の広さもすごいですし…』


「見て、石鹸もある!高価で貴重なものよ!黒縫、せっかくだからこれで洗ってあげるね」


石鹸はとても高価で、澪の実家にもあったが、平民には手の出せない代物だ。

澪は浴槽から出て手拭いに石鹸を擦りつけて黒縫の身体を洗ってやった。


「ねえ黒縫…黎さんはいい方ね。突拍子もない状況なのに怒らないで受け入れてくれて…離縁してもいいって言ってくれてるし。あんな素敵な方なら引く手あまたと思わない?」


『…そうですね。澪様は黎様を素敵な方と思っているのですか?』


「!ちょ…ちょっと待ってよ黒縫。その言い方だと私が気の多い女みたいじゃないっ」


『私はいいと思いますよ。あの仮面の方はいつ会えるかも分からないのに対して、黎様はどしっと構えていて安心感があります。婿として最適なのでは」


再び浴槽の中に入った澪はもごもご口を動かしながら黎を否定しようとしてみた。

だが今の所非の打ちどころがなく、あの顔も実は好みで、あんなきれいな顔をした男を見たのもはじめてだった。


「私、昨日啖呵を切っちゃったし…本当はつのかくしを取って顔を見せた方がいいんだろうけど…私の顔、おかしくない?」


『お可愛らしいですよ。入れ墨を気にすることはありません。黎様も気になさらないはず」


「どうしよう…どうしよう…っ」


――澪が黎を気に入っているのは明白。

黒縫は早く気付いてほしいと願いながら黎を推し続けた。
< 104 / 296 >

この作品をシェア

pagetop