千一夜物語
終章
最速で駆けた。

気が逸って不安で、神羅が無事であることを祈って、駆け続けた。

程なくして朝廷上空にたどり着いた時、朝廷の上空にのみ垂れ込めている暗雲を睨んだ黎は、兵や官吏たちが右往左往している様をちらりと見たが、彼らの安否はどうでもいい。

すぐさま朝廷の最奥にある御所へ向かった黎は、そこで庭にひとり佇んで弓を構えている神羅を見つけた。

神羅が弓を構えている先には――頭部が鬼で身体が蜘蛛の牛鬼という巨体の妖が身体に見合わぬ俊敏な速さで神羅の放つ弓を避けていて、牛鬼が吐く毒息にくらくらして身体が揺らいでいた。


このままでは危ない――


「神羅!」


「!黎……っ!」


上空から声をかけると、ひっ迫した声で名を呼ばれて、そしてほっとした表情を見せた神羅の身体に無数に切り傷があり、ぎり、と歯ぎしりをした黎はすぐさま降り立って神羅を背に庇った。


「なんだあれは」


「黎…あの妖の背に何者か乗っているのです。まさかあれが…」


ぎゅうっと袖を握ってきた神羅の手は震え、しゅるしゅると音を立てて糸を吐いている牛鬼の背を見ると、頭部にあぐらをかいて座っている妖…いや、まだ若い人の男が無邪気に笑っていた。


「お前は何者だ」


「あんたが鬼頭の旦那か。俺の邪魔をして周囲をちょこまかしているようだが目障りなんだよ」


人――のように見えるが、何か違和感がある。

第一人が妖を御すのは難しく、妖はより強い者に屈服する習性があるため、人ではあり得ない。


「お前が悪路王なのか?だが…」


人に見える、と呟いた黎は、背後でうめき声を上げた神羅を肩越しに振り返ると、左胸に大量の血を滲ませていて目を見張った。


「神羅!傷を受けたのか!?」


「あの鍵爪にやられ、ました…」


牛鬼は全てが毒で構成されている。

その鍵爪と受けたということは今、神羅の体内に毒が回りかけているということ。


「…許さん」


「許さんとは誰が誰を?こっちの目的はその帝を殺すことで旦那と相対するつもりはない。そこをどいてくれ」


「断る」


即断した黎は、すらりと刀を抜いた。


絶対に許すつもりは、なかった。
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