千一夜物語
息を切らしながら平安町と浮浪町を結ぶ橋の袂まで来た澪は、まだ七尾が到着していないのを見ると、赤い提灯を脇に置いて中腰になって黒縫の首を抱きしめた。


「まだ来てないみたい。ねえ黒縫、七尾さんを絶対襲っちゃ駄目だよ。約束して」


『澪様に手を出さないのであれば』


「ふふっ、黎さんはいいの?」


『あの方は特別です。私の撫で方もとても上手ですし、澪様とも気が合っていますし』


澪はそれを聞いて垂れた目元に指をあてて吊り上げると、また唇を尖らせた。


「さっきはこーんな顔してたよ。でも私が仮面の方の話をしてるうちに顔色が青くなったり赤くなったり?してたけどなんでだろ」


『さあ…』


黒縫が曖昧に返事をすると、何者かの足音が聞こえて黒縫が身構えた。

そのまま息を潜めていると、前方から両手を前に伸ばして手探り状態で歩いている男を見つけた澪は、提灯でそちらを照らして七尾だと分かると、ぱっと笑顔になった。


「七尾さん!よかった、知らない人から文を渡されてどうしたのかと思っちゃった」


「遠野のお姫さん、来てくれたんだな。いやあ、俺人見知りだから値踏みされてるようでちょっと会いたくなくてなあ」


「その件だけど!私がお世話になってる許嫁さんがね、六郎さんや七尾さんのことを根掘り葉掘り聞きたがるの。それでちょっと言い合いになっちゃって!」


七尾は澪の後方で闇に乗じた何かからずっと唸り声を浴びせられていてちらちらそちらを見つつ、懐から包み紙を取り出してそれを開いて饅頭を取り出すと、ひとつを澪に手渡した。


「仮初の許嫁でも他の男と会ってるって聞いたら気になるってとこかい?」


「心配してくれてるのは分かるけどひどいでしょっ?」


「あー、うん、ひどいひどい。ところでお姫さんの後ろの方から唸り声が聞こえてんだけど?」


「あ、ええと、私の番犬!襲わないように言い聞かせてあるからいつもみたいにお話しよっ」


――地に伏せながらずっと七尾を見ていた黒縫は気付いていた。


七尾から――六郎の匂いがすることを。
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