千一夜物語
七尾から間違いなく六郎の匂いがすることに猛烈な違和感を覚えた黒縫は、金の目をぎらつかせて闇に紛れたまま七尾を観察した。


…人のようなそうでないような匂いがする。

妖の匂いもすれば人の匂いもするし、どちらなのか分からない。

だが澪は信用しきった様子で七尾と雑談をしていて、さすがに礼節を弁えている澪は黎の名を一切出さずに愚痴を言い続けていた。


「…で、お姫さんの話を要約すると、つまり許嫁が惚れてるって女が気に入らないってことかい?」


「!ちっ、違うよ!素敵な方だからいい感じになったらいいなって思ってるけど…ちょっと乗り越えなきゃいけないものがあるから」


妖と人だから。

人は先に死ぬから。

伴侶に先立たれた後の妖の末路は――壮絶なものがあるから。


「へえ、障害があった方が男は燃え上がるってもんだけどな」


「七尾さんもそうなの?」


――ふと七尾にじいっと見つめられてどぎまぎした澪が固まってしまうと、七尾が手を伸ばして澪の長い髪に触れようとした。

途端に黒縫が高い唸り声を上げて虎柄の前足だけ見えるようにずいっと前進すると、七尾は一瞬躊躇したが――やめることなく澪の艶やかな黒髪に触れた。


「な…七尾さん…?」


「俺も…いや、六郎もあんたが心配で気に入ってるからここまで護衛してきたんだ。だからあんたには幸せになってもらわないと。その待ってる男が見つからなかったら…どうだい、俺の嫁さんになってもらえねえかな?」


突然求婚されて一瞬きょとんとした澪だったが、言われている意味が分かると顔に火がついたように赤くなって後退りした。


「えっ、だ、駄目だよ七尾さんからかわないでっ」


「からかってねえさ。本当にそう思って…」


黒縫が人語を介さず唸り声で澪に‟帰ろう、帰ろう”と何度も伝えてきたため、澪は焦りながらさらに後退って七尾に手を振った。


「私もう帰らなきゃっ。七尾さん、また今度!」


「明日もここで待ってるから!


――澪が脱兎の如く居なくなると、七尾は後ろ姿が見えなくなるまで見守ってぽつりと呟いた。


「なに言ってるんだ俺は…」


ここには獲物を仕留めに来ただけなのに。
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