千一夜物語
澪が駆け込むように帰って来ると、心配してそわそわしていた黎は玄関で息を切らしながら下駄を脱いだ澪の手を引っ張って上がらせて問うた。


「どうした?何かあったのか?」


「え!?い、いえ別に!ちょっと求婚されただけだから!」


「そうか、ちょっと求婚されただけか………求婚!?」


思わず大声を上げてしまってその声を聞いた牙と玉藻の前が駆け付けてしまい、慌てた黎はさらに澪の手を引っ張って客間に連れ込むと、焦りつつ経緯をさらに聞き出そうと躍起になった。


「な…どうしてそんな話に?」


「分かんないけど…私が待ってる方が現れなかったら嫁に来ないかって言われて…黎さん、どうしよう!」


――その待っている方というのは自分のことであり、いつかは言わなくてはならないことでもあり…

どうしたらいいのか分からなくなった黎が口を開けたり閉じたりしていると、澪は黎の手をそっと払って求婚された衝撃にまだ顔が赤いのを感じながらすすっと後退りした。


「あの私、神羅ちゃんに相談してくるね!」


「神羅はまだ具合が良くないからやめてほしいんだが」


「ちょっとだけ!ちょっとだけだから!」


客間を出て行った澪と入れ違うようにして黒縫が現れると、しゃがんだ黎は黒縫の両頬をむにっと引っ張って少しきつい顔になった。


「七尾に求婚されたと聞いたぞ。どうしたんだ?」


「黎様…七尾という男、あれは人ではないようです」


「…なに?」


「遠野からここまで護衛してくれた六郎という男と同じ匂いがします。それと…人が頻繁に町から消えているという情報も。もしかしたら関係があるのかもしれません」


――澪がよくないものに気に入られて付け込まれようとしていることを知った黎からじわりと殺気が滲み出して思わず伏せの姿勢を取った黒縫は、上目遣いにちらちら黎を見て様子を窺った。


黎はとても怒っているように見えた。

それがどういう種類のものなのか訊きたかったが――触れると爆発しそうな危うさがあり、黒縫は黙ったまま黎の目を見続けた。
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