千一夜物語
父には本妻と、ふたり目の妻が居た。

本妻の子として生まれた黎は、母からふたり目の妻の悪口を聞いたことがなく、また幼い頃から妻はふたり以上持つものだと教えられて育った。

それほどまでに鬼八という男の存在が恐ろしく、封印し続ける義務があるのかと怖くなって、自分がその役目をいずれ担わなければならないことがとても億劫だった。


妻は親に決められるのではなく自分が惚れた女と夫婦になりたい――それは半ば夢物語だったが…

今腕の中で泣いている澪をこのまま遠野へ帰すわけにはいかない。

惚れたのは別の女だが…いや、澪にも同じような感情を抱いていることにもう目を背けるわけにはいかない。


「澪…少し待ってくれないか」


「誰を?何を?私別に…黎さんのことなんてなんとも…なんとも思って…」


またぎゅっと抱きしめられて腕の中で顔を上げた澪は、すぐそこにある黎の唇から目を離せなくなり、また黎も澪の視線を感じてその花びらのように可憐な唇を見つめた。


「なんとも…思ってないと?」


「れ、黎さんこそ私のことなんてなんとも…っ」


「…なんとも思ってなくはない。だからこうやって引き留めている」


「神羅さんは…神羅さんのこと好きなんでしょう!?」


「…気が多い男だと笑ってもいい。怒ってもいい。お前に去ってほしくない。傍に居てほしいんだ」


――気を失いそうになった。

仮面の男が…いや、黎が求めてくれていることに、無限の喜びを感じてしまった。


黎の家が鬼八を封印するために存続し続けなければならず、子を為すために妻を何人も持っていいということは父から聞いていた。

だから、例え他に妻を迎えたとしても決して喧嘩はするな、と強く言われていた。

神羅のことは嫌いでも何でもなく、むしろ好きだ。


そして神羅は…十数年後必ず死ぬ。


その後黎を独り占めできる――そう思ってしまった澪ははっとして黎の胸を強く押した。


「黎さん、離して…」


「嫌だと言っている。…行動に起こさないと分からないのか?」


え、とまた顔を上げた時――


唇に何かやわらかい感触がして、気持ち良くて――唇を奪われたことにすぐ気付けず、黎の端正な顔が間近にあるのをただまじまじと見ていた。
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