千一夜物語
実際問題、澪の話は以前聞いたことがあった。

両親に決められた許嫁の元へ嫁がなくてはならず、人のことばかりを調べて接したがることを嫌がられていつも説教されている――そんなところだ。

鵺を使役する珍しい一族として嫁に来ないかと引く手あまたの中、鬼族の中で最も由緒ある鬼頭家から声がかかったため澪の意思も尊重されないまま両親が是非にと返事をして花嫁修業をする毎日――

黎ははじめて聞く話のような顔をしてそれを聞かねばならず、だが表情をくるくる変えて一大物語のように雄弁に語る澪が面白くて酒が進んでいた。


「でね、そんな時!仮面の方は現れたのです!」


「!ごほっ!」


思わずむせた黎に澪が手を伸ばして笑いながら背中を摩った。

…あなたのことですよ!と言いたいのを堪えて咳き込んでいる黎の顔をわざと覗き込んだ。


「どうしたの?私の初恋の人の話、聞いてくれるでしょ?」


「は…初恋…?」


「うん。だって私、それまでずっと遠出したことなかったし…嫁に出るのが決まったんだからよその男に会っちゃ駄目だって言われてたから」


酒を一気飲みして盃を畳に置いた澪は、足を崩してせつなげなため息をついた。

あの時の仮面の男――いや、黎は本当に素敵で自分を攫ってくれる救世主のように見えたものだ。


「…だが仮面を付けていたんだろう?」


「そうだけど、素敵な方だっていうのは声の感じとか顔以外でも分かったもん。この辺とか黎さん似てるんだよね」


首筋や鎖骨――なめらかで噛んでみたいな、と思った。

鬼族にとって噛むという行為は愛情表現であり、はじめて噛みたいと思った男だった。


「…その初恋の男をお前はもう待たないと決めたんだろう?」


「…そうだよ。あの方は来ない…待ってる私が馬鹿みたいって思ったから…」


正体がばれていないと思っている黎は、そこまでけなげに待ってくれていたのかと思うときゅんとして、ぽんぽんと自身の膝を叩いた。


「え?なあに?」


「ここ。座れ」


甘やかす気、満々。
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