千一夜物語
黒縫は鼻が利く。

澪の匂いを違えることなく上空を行く黎に指示を出して遠野方面をかなりの速さで進んでいたのだが――途中雨に降られて澪の匂いを失って立ち止まった。


「どうだ?」


『澪様の匂いが消えました。恐らく雨に濡れたためでしょうが…』


「…この付近は民家が少ない。建屋に逃げ込んで雨をしのいでいるはずだ。手分けしてしらみつぶしに捜そう」


留守番として玉藻の前は置いて来ていたが、黎を慕って侍っている火車や烏天狗などは共について来ていたため指示を聞いて各方角へ散らばると、狗神姿の牙の背に乗っていた黒縫がすまなさそうに鼻を鳴らした。


『私がついていながら…』


「悪路王はそれなりに強い妖だ。横暴で残虐の限りを尽くし、情などない。…少なくともそう言われていたが、澪を傷つけていない以上噂は噂でしかない。だが俺は奴を殺すぞ」


『澪様と話している時の七尾…いえ、悪路王はとても楽しそうでした。澪様には指一本触れなかったのに、黎様の名を出した途端…』


「俺は奴が標的としている神羅を守っていたからな。…澪に惚れているなら傷つけはしないだろう」


雨は降り続けていたが、黎は濡れた黒髪をかき上げて辺りを見回した。

悪路王は妖気を消して存在の主張をやめている。

ということは、本人は今こちらと対峙するつもりはないのだろう。


「そう遠くへ行ってはいないはずだ」


「黎様ー、でも匂いが消えちまったし朝まで待った方が…」


「そんな悠長なことは言ってられない。とにかく捜せ」


焦りが募る。

怖い思いをしていないだろうか?

いくら天真爛漫な澪でも相手が悪路王を知って身を縮こませているはずだ。


「澪…!」


唇を噛み締めて、名を呼んだ。
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