千一夜物語
山林の中にぽつんとある空き家の民家に逃げ込んでいた悪路王は、澪を肩から下ろすと囲炉裏に火を熾して手招きをした。


「そのままじゃ寒いだろ?こっちに…」


「悪路王…さん…どうしてこんな…」


ずぶ濡れでがたがた震えている澪の真っ白な顔を稲妻の閃光が青白く照らした。

…何故連れ去ってしまったのか正直自分でもよく分からなかったが、黎の許嫁だと知った途端無性に腹が立って、あの場からひとり去ることは到底できなかった。


遠野を発ってからすぐのこと――出会った澪がひとりではなく、隠遁しながらついて来ている鵺にも気付いていて旅は恙なく問題ないだろうと分かっていたのに…一目惚れしてしまって、このていたらく。


悪路王は大きく真っ黒な目を伏せて囲炉裏の火を見つめると、緑の直垂の上半身を脱いでため息をついた。


「遠野のお姫さん…あんたを危険な目に遭わせるつもりじゃなかったんだ。それだけは分かってくれ」


「…」


六郎…七尾…いや、悪路王には確かに害意は感じられなかったが、神羅を殺そうとしている男には違いない。

澪は恐る恐る囲炉裏を挟んで悪路王と対面して座った。


「神羅ちゃんを殺そうとしてるんでしょ…?」


「…だってあの女は俺の両親を殺したから」


「…え?」


「あの女が作った武器を持った人にやられて殺されたんだ。だから俺…それまで人を手にかけたことはなかったけど、殺して食ってやった。…これが思いの外美味くてさ」


人に思い入れのある澪がむっとした表情になると、悪路王は焦ったように言い訳しようと手を振ったが、澪は強い口調でそれを責め立てた。


「神羅ちゃんが作ったものってわけじゃないでしょ?だって神羅ちゃんは悪路王さんが暴れ出した頃から作り始めたんだから、絶対違うんだから!」


「お姫さん…」


――きっと黎は追いかけてくれているはず。

自分の役目は、悪路王をできるだけ長くここに留まらせ続けること。


「寒い…」


膝を抱えて火に手を翳す。

正面の悪路王の表情は――黙り込んで反論することなく、沈黙が流れた。
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