千一夜物語
黎の妖気を注ぎ込まれた天叢雲は、数千年も生きてきて久々に全力を出しても主が壊れない傑物と出会えたことに高笑いを上げた。

けたたましく笑い声を上げる天叢雲を壊すことなど到底できない。

本体を狙うしかないと判断した悪路王が濡れた前髪が垂れて表情が隠れている黎に肉薄すると、ちろりと目を上げた黎がすうっと腕を上げて刀に手を添えず振り下ろした。


「ぐ、ぅ…っ!」


右腕の付け根からばっさりと腕を落とされた悪路王は、一気に噴き出た冷や汗と激痛に片膝をつくと、澪がその隙をついて黎に駆け寄ってしがみついた。


「黎さん…!」


「澪…怪我はないか?」


「うん…!」


――澪はそう言ったものの、澪の首筋に自分がつけた記憶のない唇の痕があり、ぎりっと歯ぎしりをした黎は、大量の出血に動けない悪路王に歩み寄ろうとして澪に止められた。


「黎さん、駄目…!」


「俺はこいつを生かすつもりはない。恨みたいなら恨め」


神羅に瀕死の傷を負わせ、澪を連れ去って凌辱しようとした悪路王は万死に値する。

それに天叢雲に斬りつけられれば出血はもう治まらないだろう。

床には大量の血が飛び散っていたが、その量よりも多く斬った時に天叢雲が血を吸っていたため、実際は体内の半分以上の血が失われていた。


「お前が居なくなれば妖は大人しくなり、神羅は武器を作らなくなるり、何もかもが丸く収まる。騒がせてくれたな」


「鬼頭の旦那…あんたやっぱり強ぇなあ…。あんたにやられるなら本望…」


そう言いかけた時、開けっ放しの引き戸から何かがするりと入って来て悪路王の身体に巻き付き、窓に体当たりして破壊するとそこから逃走した。

黎が舌打ちして後を追おうとしたが、澪は強く袖を引いてそれを押し止めた。


「黎さん、行かないで…!」


…悪路王はもう瀕死だ。

このまま放っておいても死ぬだろうが――黎は自分の目でその死を確認しない限りは納得することはなく、刀を鞘に収めて唇を噛み締めた。
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