千一夜物語
まさに鬼のような形相をしていた。

肩口の傷はすっぱりと切れて絶えず出血し続けていて、最早左手に持っている大鉈を振るうこともできないだろう。

それでも悪路王の仲間の数が多い。

人に対して反発を覚えている者が多いという証拠であり、互いに見えない境界線を持ちながらもやはりそこは種族の違う者同士。

互いの常識は通じず、あれらを殲滅しなければ禍根が残る。


「黎様が戻られるまで耐えなければ」


まさに孤軍奮闘。

豆粒だった悪路王はみるみる大きくなり、結界に触れたことでさらにその身体は傷ついていたが、本人は死を悟っているのか何ら気にしていないように見えた。


「意外と小柄ですわね」


黎と同じ印象を抱き、額に角、口から鋭い牙が生えた悪路王が庭に下りたのを冷静に見分していた。

捻り潰すのは簡単だが、黎はきっと止めを刺したいと思うのだろう。

嫁にしようとしている女ふたりを傷つけ、連れ去り、亡き者にしようとしたのだから。


「お前が悪路王か。わたくしは九尾の白狐であり妖狐。力の差は歴然としていますが、やりますか?」


「…そこに隠している女を渡せ。そうすれば今は引き下がってやる」


「ふふ、おかしなことを言いますわね。今引き下がったならばお前は出血多量で死ぬでしょう。その傷は天叢雲のものですね?ならばもう血は止まることはない」


玉藻の前がすうっと目を細めると、わらわら降りて来た悪路王の仲間たちが金縛りにあったかのように動かなくなった。

その隙にこちらの仲間が一斉に攻勢に出たものの――悪路王の仲間の一部は屋敷ではなく浮浪町の方へ飛んで行ったのを見て、吠えた。


「赤鬼!青鬼!頼みましたわよ!」


「応!」


咆哮に対して咆哮が返って来ると、玉藻の前はしなやかな動作で悪路王に近付いて九本の尾を振った。


「やるのですね?」


「…やる。来い!」


死を覚悟した者はとんでもない力を振るうことがある。

玉藻の前は大きく跳躍して悪路王に襲い掛かり、戦いの火蓋は落とされた。
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