千一夜物語
嵯峨野は全速力で飛べばすぐの所で、雪が深々と降りしきる中、黎は寒さも厭わず寺の近くに下りると、気配を殺して誰かが出てくるのを待っていた。
…こんな山奥の小さな寺に帝が出家など、おかしすぎる。
しかも朝廷からの使者たちが門前払いを食らっていると烏天狗から報告を受けていた黎は、極々僅かな坊主たちと共にひっそり暮らしている神羅が何か隠していることを確信していた。
夜には百鬼夜行に戻らなければならず、黎は白い息を吐きながら待ち続けた。
寺から目を離さず気を集中させて待っていると――寺の扉が開いた。
「神羅…」
そこから出て来たのは――橙色の着物を着たとてもとても久々に見た神羅の美貌。
子を失って悲しみに明け暮れていると聞いていたのに、さらにおかしな光景が黎を唸らせた。
「腕に抱いているのは……死産した…子か…?」
出産を終えてまたほっそりとした姿になった神羅がおくるみですっぽり包み込んでいたため赤子の顔は見えなかったが――
もし…
もし、死産した現実を受け入れられずに息をしていない赤子を腕に抱いているのならば…気が触れている。
気が触れていたならば帝位から下りざるを得ず、黎はその可能性も踏まえて――大木にもたれ掛かっていた身体を起こして神羅にゆっくり近づいた。
「…神羅」
「…っ!?れ…っ、黎……っ」
悲鳴のような、その声。
拒絶された、と思った。
だがそれよりも神羅を正気に戻して救い出す――それこそが我が使命だと確信していた。
「金輪際、会わないと言ったでしょう!?」
「悪いがそれは受け入れられない。神羅…状況が変わったんだろう?腹の子は死産だったと聞いた。退位すると聞いた。…お前は屍の赤子を抱いているのか?」
涙声で名を呼びながら後退る神羅を食い入るように見つめて、後退る度に一歩近付いて距離を開けさせなかった黎は――確かに見た。
赤子の小さな手が伸びて、動いたのを。
「駄目よ、駄目…!」
黎の切れ長でいて真っ直ぐな目で射抜かれるように見つめられて、背を向けて赤子を見られないように庇った。
だが黎は一気に距離を詰めて――神羅を背中から抱きしめながら、おくるみを少し捲ってその顔を見た。
「……角…っ!」
赤子の額には小さな角が生え、黎を見て嬉しそうに笑った。
神羅は嗚咽を漏らした。
もう、逃げられない。
愛しい主さまから――
…こんな山奥の小さな寺に帝が出家など、おかしすぎる。
しかも朝廷からの使者たちが門前払いを食らっていると烏天狗から報告を受けていた黎は、極々僅かな坊主たちと共にひっそり暮らしている神羅が何か隠していることを確信していた。
夜には百鬼夜行に戻らなければならず、黎は白い息を吐きながら待ち続けた。
寺から目を離さず気を集中させて待っていると――寺の扉が開いた。
「神羅…」
そこから出て来たのは――橙色の着物を着たとてもとても久々に見た神羅の美貌。
子を失って悲しみに明け暮れていると聞いていたのに、さらにおかしな光景が黎を唸らせた。
「腕に抱いているのは……死産した…子か…?」
出産を終えてまたほっそりとした姿になった神羅がおくるみですっぽり包み込んでいたため赤子の顔は見えなかったが――
もし…
もし、死産した現実を受け入れられずに息をしていない赤子を腕に抱いているのならば…気が触れている。
気が触れていたならば帝位から下りざるを得ず、黎はその可能性も踏まえて――大木にもたれ掛かっていた身体を起こして神羅にゆっくり近づいた。
「…神羅」
「…っ!?れ…っ、黎……っ」
悲鳴のような、その声。
拒絶された、と思った。
だがそれよりも神羅を正気に戻して救い出す――それこそが我が使命だと確信していた。
「金輪際、会わないと言ったでしょう!?」
「悪いがそれは受け入れられない。神羅…状況が変わったんだろう?腹の子は死産だったと聞いた。退位すると聞いた。…お前は屍の赤子を抱いているのか?」
涙声で名を呼びながら後退る神羅を食い入るように見つめて、後退る度に一歩近付いて距離を開けさせなかった黎は――確かに見た。
赤子の小さな手が伸びて、動いたのを。
「駄目よ、駄目…!」
黎の切れ長でいて真っ直ぐな目で射抜かれるように見つめられて、背を向けて赤子を見られないように庇った。
だが黎は一気に距離を詰めて――神羅を背中から抱きしめながら、おくるみを少し捲ってその顔を見た。
「……角…っ!」
赤子の額には小さな角が生え、黎を見て嬉しそうに笑った。
神羅は嗚咽を漏らした。
もう、逃げられない。
愛しい主さまから――