千一夜物語
庭の外で起こった騒動に、寺の中から僧たちが飛び出て来た。


濃紺の着物姿の、息が止まるほど美しい顔をした男が真っ白い雪に映えてさらに美しく見えて、皆が足を止めた。


「し、神羅様…まさか…その男は…」


「…この子の父です。だから大丈夫…この男は、あなたたちを傷つけませんから」


――僧たちは、神羅が幼い頃からの旧知の仲であり、だからこそ神羅はこの場所を選んでいた。

妖に魅入られて、しかも身籠ってしまった神羅が血を吐きそうなほどに苦しんで悩みながらこの寺の大僧正に文を出したのがきっかけだった。


「神羅よ、この寒さでは赤子が凍えてしまうから早く中へ入りなさい。そちらの方も」


「…俺は妖だ。誰が好き好んで寺の中になど…」


「黎、お願い。一緒に入って」


神羅に縋るような目で見つめられてはそれ以上拒むことができず、黎は神羅の腕の中の赤子から目を離すことができずに、共に寺の中へ入った。


「人だの妖だの、もうそなたらには関係のないこと。神羅よ、そなたは母であり、そちらの方は父である。それ以上は何者でもない」


父であり、母である――

単純にそう括られると何だか笑みがこみ上げてしまって黎がふっと笑うと、大僧正は神羅が赤子と共に暮らしていた小さな部屋にふたりを通した。


「私は神羅の親代わりのようなもの。この子が書いた文には何粒もの涙の雫が落ちていた。父が妖と書かれてあってそれは驚いたものだが…そうか…そなたのように美しかったならば、この子が心を奪われるのも仕方のないこと」


「だ、大僧正…それ以上はもう…」


ふふふと笑ったもうかなり高齢と思しき大僧正が去ると、神羅はおくるみを取って入り口に立っていた黎を呼びよせた。


「黎…抱っこしてあげて」


もう恐らく神羅は逃げない。

黎は神羅の傍に座って、恐る恐る我が子を抱いた。


――ふわふわしていてやわらかくて、いい匂いがする――

ふいに視界が歪んで――

我が子の小さな手を握って、俯いた。
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