千一夜物語
黎が赤子を腕に抱き、神羅が隣で赤子の頬や指を突いたりして穏やかな時が流れた。

だが――神羅の美しい横顔は何故か曇り、とても再会を喜んでいるようには見えなかった。


「神羅…共に来てくれるんだろう?」


「…ここで暮らしては駄目?」


「駄目だ。今はそんなに分からないだろうが、成長すればすぐに人ではないと分かる。神羅、この子はお前の子でもあるが、俺の子でもあるんだ。一緒に大切に育てたい」


「…」


まだなにかをひとりで耐えているのか?

あまり本心を語ることのない神羅が抱えている悩みをどうしても払ってやりたい黎は、むにむにと動いている赤子に目を落としながら神羅の肩を抱いた。


「どうしたんだ、何が言いたい?」


「……私を…どうするつもり?」


「どうするとはどういう意味だ?お前と赤子を連れ帰って、そして…」


「そして…妻にすると言うの?」


「そうだ。お前と別れる前からそう言っていたはずだぞ」


神羅は唇を噛み締めていた。

沈黙が流れたが、黎は辛抱強く待った。


「…澪さんは、なんと言っているの?」


――やはりそこか、と思った黎は、こちらを向かない神羅の顎を取って自分の方に向けると、声を押し殺した。


「澪はお前を連れ帰って来るようにと言っていた。お前が身籠った子が生きているならば、子も一緒にと」


「…お主はそれが澪さんの本心だと思っているの?」


「…え?」


「私は子を産んでしまった。つまり澪さんはお主の子を産めない。それで澪さんが幸せになれるとでも?」


思わず言葉に詰まった黎がやや狼狽えると、神羅はくしゃりと表情を歪めて黎から赤子を受け取って抱きしめた。


「それは…」


「でも私はこの子を産みたかった。育てたかった。澪さんには何度謝っても謝りきれない。そんな私を受け入れてくれるとでも?」


…正論だと思った。

だが黎もまた、神羅も赤子も双方を諦めることはできない。


「お前が心配することじゃない。神羅…一晩待っていてくれ。逃げずにここに居てくれ。澪には全てを話してきたが、お前や子のことも話してくる。俺にとってお前たちはかけがえのない存在なんだ」


黎の家は、妻をふたり以上持つことが許され、それが当然のように行われてきた。

妻になる側は、自分ではない他の妻が子を産む可能性も覚悟して嫁がなくてはならない。


「…」


「すぐに戻る。だから…」


神羅は言葉ではなく、頷くことで是とした。


澪は許してくれるだろうか?

こんな我が儘な夫と、我が儘な自分のことを――

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