千一夜物語
幽玄町に戻る道中の間、神羅の言葉が気にかかっていた。


澪が本心を語っているのかどうか――


思えば今まで甘えに甘えてきて、澪に無理を強いてきていたかもしれない。

神羅のことばかりで頭がいっぱいになって、澪を蔑ろにしていたかもしれない。

そう思うと一気に血の気が引いて、帰るのが――怖くなった。


「…戻った」


「おっ、主さま!遅いから戻って来ないんじゃねえかと思ってた!」


「神羅と会ってきた。…澪と話してくる。どこに居る?」


「部屋に籠もっておられますわ」


玉藻から聞いた後、黎はすぐさま澪の部屋に向かい、その前に黒縫が座っていて顔を上げてきた。

明らかに部屋に入ってならないような雰囲気がしていて、黒縫の傍に座った黎は、頭を撫でてやりながら澪の様子を問うた。


「澪は…どうしている?」


『何か思い詰めておられるようで…今はそっとなさった方が』


「そういうわけにはいかないんだ。黒縫、悪いが席を外してくれ』


黒縫は逡巡した後、そっと部屋から離れて庭の方へ消えて行った。

黎は障子を開けて部屋に入ると、灯籠の前でじっと炎を見つめていた澪を見て胸が痛んだ。


…きっと澪は何かを察知しているのだろう。

良い報告をしないかもしれない自分が戻って来ないことを期待していたかもしれない。


「澪、少しいいか?」


「少しで済むの?…ううん、どうぞ」


笑いながら言ったもののその笑みは引きつっていて、傍に座った黎は、澪の小さな手を取ってまっすぐ見つめた。


「神羅はここに来る。…俺の子と共に」


「え………っ、黎明さんの…子…!?」


澪の大きな目がさらに見開かれて――固まった。

黎はその沈黙が怖くて、まくし立てるように今日の出来事を語ろうとした。


「神羅を待っていたんだ。外に出て来た神羅の腕に赤子が抱かれていて…額に角が生えていて、俺の子だと分かった。とても俺に似ていて…」


「……ふっ、うっ、ぐす…っ」


「澪…っ!」


ふいに澪の目から大粒の涙が溢れて、本人も戸惑いながら腕で顔を隠した。


「な、なんでもないよ!急に勝手に涙が…っ、なんでもないから!」


――落胆からなのか、失意なのか…どちらにしても喜びから溢れ出た涙ではない気がした。


「澪…こっちに来い。ここに座れ」


黎が膝を叩くと、澪はぐずりながらも黎の膝に座った。


久々に甘えてきた瞬間だった。

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