千一夜物語
しかし業平にも夫としての矜持があり、神羅を貞淑な妻だと信じ切っていて、嫌がって身を捩る神羅に覆い被さろうとした。

神羅は咄嗟に叫んだ。


「月のものの最中だから…やめて…!」


「!それは…失礼いたしました」


心から謝罪した業平が部屋を去ると、神羅は深い深呼吸をして動悸を収めようと奮闘した。

そうしているうちにふと気付いた。


「そういえば…まだ月のものが来てない…?」


毎月同じ日に来るはずなのに、ずれている――?


きっといつも以上に忙しくて寝る間も惜しんでいるから少し遅れるだけだろう、とたかをくくった。


「…黎…」


――幽玄町から定期的に伊能という男が報告にやって来ていた。

黎と懇意にしているこの男は人であり、商人であり、悪路王に襲われて怪我をした時に食事の世話をしてくれた男だ。

主に凶悪な犯罪を犯した者らを優先的に幽玄町へ送り込み、妖の統治下で勤労生活を送らなければならず、幽玄町内でさらに罪を犯せば食われると聞かされた彼らは真面目に畑を耕し、建物を造り、手に職のない者は伊能が作った塾に通って手に職をつけているという。


「黎は…真面目にやっているのですね」


「主さまはたいへん真摯に取り組んでらっしゃいます。ただ体調が気がかりで」


「…黎はどこが悪いのですか?」


「さて…必死に隠そうとしておられますので。では本日はこれにて」


伊能と会っている場所は御所内であり、神羅の自室であるため人払いをすれば誰も入って来れず、神羅は御簾から出て伊能と会っていた。


主さま――


黎が皆に自身をそう呼ぶようにと聞いた時どれだけ喜んだことか。


絆を感じた。

まだ繋がっている、と感じた。


――神羅は神社に移動して、入り口に佇んだ。


ここで黎に愛されて…

許されざる愛を告白して、それでも別れることを選んだ場所。


「心配だわ…」


祭壇の前で身体を横たえた。

あの一夜のことは、何もかも覚えている。

きっとこの先ずっと、忘れることはない。


ずっと、ずっと。
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