千一夜物語
桂は乳をよく飲んでよく眠る。

抱っこしているとこちらにも眠気が移って黎の部屋で寝ていると、朝方百鬼夜行から戻って来た黎は、すやすや眠っているふたりを見て和んで火鉢を近付けてやった。


「んん…」


「起こしてしまったか。寝ていていいぞ」


ぼんやりしながら横になったまま黎を見つめた神羅ははっとして身体を起こすと、ちゃんと正座をして頭を下げた。


「お勤めご苦労様でした」


「……ん」


元からして神羅も由緒ある血筋の者であり、元巫女であるため礼節は弁えている。

貞淑な妻の姿を見たようで照れた黎は、桂の傍に座って気持ちよさそうに寝ているのを見て頬を緩めた。


「黎、怪我はしていない?」


「怪我なんか今までしたことない。心配するな」


「そう…ならいいの。私は黎に命を狙われるようなことを強いたから。ずっと心配だった」


「お前…やけに可愛くなったな。どうした?」


出会った時からつんけんしていて素直ではなかった神羅の態度は黎をどぎまぎさせていた。

神羅としてはこれからの短い人生――夫と定めた男と暮らしてゆく限りなく短い時を精一杯生きていきたい。

黎の真名も、呼びたい。


「黎…明」


「…神羅…」


じわじわと何かが競り上がって来る。

どうしようもないほどに求めて苦しくて、手に入らなくてもがき続けた存在に真名を呼ばれて、息が止まりそうになった。


「……背中を流してくれるか」


「えっ?い、いいえ、それは…その…」


「昨晩は吹雪いていたから寒いんだ。一緒に来てほしい」


「あ、あの…はい…」


桂が起きた時に危険がないよう結界を張り、手を握り合って部屋を出て風呂場に向かった。


…あの一夜が思い出されて、心臓が壊れそうになっていた。
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