千一夜物語
神羅は時々自室に引き篭もる時がある。

今まではそれを別になんとも思っていなかったが、最近よく咳をするようになり、その度に自室に下がることが増えたため、黎は神羅の後を追って部屋へ入った。


「…っ、神羅!?」


そして黎が見たのは――背中を丸めてうずくまり、咳が止まらず喘いでいる神羅の姿だった。

傍には血に染まった手拭いが落ちていて、一気に青ざめた黎は、伊能と伊能の息子である綱を呼んですぐさま薬師を呼ぶように叫んだ。


「神羅!神羅、目を開けてくれ!」


事切れたように気を失ってしまった神羅の肩を揺さぶっていると、澪が黎を押し退けて床に神羅を横たえさせた。


「神羅ちゃん、やっぱり病に罹ってたんだね…」


袖を捲ると腕には赤い発疹があり、やって来た薬師は手拭いで口元を覆いながら、唸った。


「これは赤斑瘡(あかもがさ)にございます。最近都ではやり始めた流行り病で治療法がなく…」


「そんな!どうにかしてくれ!神羅の命を、どうか…っ!」


人の病は妖には移らない。

気を失ったまま目覚めない神羅の傍から離れることができず――薬師からの宣告を受けた。


「もって数日でしょう…」


「そんな…っ!俺は、どうすれば…っ」


「黎明さん……」


いつかはこんな日がやって来る。

それは覚悟していたはずなのに、いざその日が来ると心が悲鳴を上げて、神羅の手を握った。


「霊薬を飲ませていたはずなのに…どうしてなんだ…」


「母様!」


ふらりと戻って来た桂が知らせを受けて部屋に飛び込んで来ると、唇を震わせながら傍に座った。


「母様…母様…!」


呼びかけても目覚めない神羅からすっと目を外して本棚の上に置いてある壺を見た桂は、立ち上がってそれを手にすると、蓋を外した。


「さあ、母様…これを」


「それは…俺が神羅にやった薬じゃないか。何故そこに…」


桂は切れ長の目に涙をいっぱい溜めて、唇を噛み締めた。


「人としての寿命を全うしたいと言っていました。自然に任せて生きたいと…」


「神羅…神羅…!」


もうあのはにかむような笑みは見ることができないのか?


「母様、飲んで」


黎は桂から霊薬を受け取って口に入れると、水を含んで口移しで霊薬を飲ませた。


逝ってほしくない――

神羅、目覚めてくれ。


その日はじめて、百鬼夜行を休んだ。
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