千一夜物語
桂が居なくなった――

時折ふらっと居なくなることはあったが、丸一日戻ってこなかった桂を探すために部屋に入った黎は、机の上に一通の文を見つけて裏に澪と自分宛であることを見ると、澪を呼び出した。


「桂ちゃんからの文…!?れ、黎さん…」


「…開けてみよう」


ごくりと息を呑みながら中を開くと、目を疑うようなことが書かれてあった。


『父様、澪母様、私は母様の遺言通り、愛する者と巡り合うためにしばらく旅に出ます。どうか時間を頂くことをお許し下さい。もし巡り合えたら共に屋敷へ帰り、当主としての責務を担います。それまでは父様どうかお元気で。それと澪母様、私にもし何かあってもきっと大丈夫ですよ。私はそう確信しています』


澪は訳が分からず黎の袖を握り、黎はかつての自分の姿と思い重ねて息子を責めることができなかった。


「戻って来るつもりなら…いい。澪、お前宛てに書かれてある意味は分かるか?」


「ううん、全然。蔵で調べてたことと関係あるのかな…」


「分からないが、神羅の遺言か。あいつ…俺には何も遺さなかったのに」


「神羅ちゃんは桂ちゃんを遺してくれたじゃないの。黎明さん、ふたりで神羅ちゃんを偲ぼ。泣きたいでしょ?つらいでしょ?私が全部聞くから。あなたを支えるから…」


「…澪…」


どうやら泣きたいのは澪の方だったらしく、しがみ付くようにして抱き着いて来た澪の肩を抱いて、目を閉じた。


つんけんしていた姿――

時に素直になって愛らしかった姿――

あんなに愛した女はもう居ないかもしれないと思ったが――ここにひとり、居た。


「桂が戻ってきたらふたりで叱りつけてやろう。どんな嫁を連れ帰ってくるか楽しみだな」


――だが、そんな日はやって来なかった。
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