千一夜物語
元巫女だった者としては、こうして男に抱きしめられたのも、先程のように風呂場で男の裸を見たのもはじめての経験で、禁制された質素な暮らしをしていた神羅としては目の前の女も怖いが――黎を意識してしまったことが一番怖かった。


妖は魔性の生き物。

時に人をかどわかして夢中にさせて食ってしまう美しき者も居るわけで、それが黎なのだろう。

自分を食おうとしている妖に心が傾くことだけは絶対に阻止しなければならない。


「行ったか。ここまで入り込もうとしたんだろうが、俺の結界に阻まれて来れなかったな。おい、俺を褒めてもいいぞ」


「…助かりました」


「それだけか?せっかく見てくれがいいんだからにっこり笑って猫なで声でも出してみろ」


「み、見てくれがいい!?私を馬鹿にするのも大概に…っ」


「褒めてるんだぞ。お前は人の女の中じゃかなり上位に入る上物だからな」


耳たぶを齧られて思わず小さく悲鳴を上げると、黎が耳元でふっと笑う気配がした。

もう恥ずかしくて仕方なくて身体を丸めて顔を見られないようにすると、黎は神羅の身体に腕を回したまま――寝息を立てて寝てしまった。


「こ…この状況で寝れるとは…」


…この妖、かなり女慣れしている。

まだ男に抱かれたことのない自分のことなど簡単に掌で転がすようなものなのだろう。

そうはなるまいと気を引き締めて肩越しに黎を振り返ると、目を閉じて意外とあどけない寝顔を見せられて――見てはいけないものを見てしまった気分になってまた身体を丸めた。


――背中から感じる黎の身体はごつごつしていて、腰に回っている手も大きく指も長く、図らずも凝視してしまって眠れるはずがないと思っていたのだが…


黎のあたたかな体温にうとうとして、朝まで熟睡。


翌朝目覚めた時にはすでに黎の姿はなく、ぼんやりしながら今日はいつ来るのだろうかと考えてしまって頬が真っ赤になるほど手で叩いて再び気を引き締めた。
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