千一夜物語
澪をまんまと納屋に連れ込んだものの――これからどうすればいいのか頭の中が真っ白になってしまった黎は、とりあえず腰を下ろして包帯や塗り薬が入っている籠を口にくわえていた黒縫の頭を撫でた。


「そういえば何故人里に下りていた?ここは結界が張ってあるから人は入って来れないのに何故自ら危険な目に?」


澪は腕に抱えていた酒瓶を脇に置いて黎の傍に座ると、無邪気に笑った。


「私ね、人が好きなの」


「…は?」


「人ってすぐ死ぬでしょ?だから一生懸命生きてるでしょ?すごくきらきらしてるし、困っている人が居ると助け合って寄り添い合って生きてるでしょ?そういうの、素敵だなあって思って」


「…その輪の中に入りたかったと?」


「えへ、簡単に言うとそうだけど、でもすぐ人じゃないってばれちゃって追いかけ回されちゃうの。注意してるのになんでだろ」


…可愛らしい容姿に上物の着物を着ていれば人であっても金持ちか、人でなければ上級の妖だと知れる。

まだ若いからか思慮が浅く全く気付いていない澪に呆れた黎は、肩を竦めて自ら包帯を外しにかかった。


「堂々としていればいい。俺は普通に宿に泊まるし、人と普通に話すこともある。お前はこそこそしすぎなんじゃないのか?」


「そ…そういえばそうかも。だって知らない人にいきなり声をかけられたら驚くでしょ?」


「お前が思っているほど相手は気にしていない。それを貸せ」


包帯の下の傷口をはじめて見た黎は、意外に傷が深いことに内心舌打ちをして呟いた。


「これじゃ親玉を殺しに行けないな…」


「え?今なんて?」


「なんでもない。傷が痛い。薬を塗ってくれ」


「う、うん」


――風呂上りなのか、澪からいい匂いがした。

袖から見える透き通るような白い肌に思わず喉が鳴りそうになって見ないように目を閉じた。


「ちょっと触るけど痛かったら手を挙げてね」


「挙げたらどうなる?」


「我慢して下さい」


思わずぷっと笑ってしまっておずおずと薬を塗る澪の指がくすぐったく感じてあまり痛くないのに大仰に呻いて見せた。


「だ、大丈夫!?」


薄目を開けてみると、澪の顔は赤くなっていて存外自分に気があるのでは、と思った黎は腹の内を探るために顔を近付けてぼそり。


「初心だな」


「!き、気が散るから話しかけないで!」


面白いものを見つけた――

構わずには居られず、それからも澪をからかい続けた。
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